べき影響は薄弱にして、且彌漫したるものなれば、書中の各事實の史的價値は大部分は其事實の特殊の考察に基かざるべからず、一般に僞書として排斥せらるゝ書籍も沙中の眞珠にも比すべき史的光彩の燦然たる事實を含有すること往々なり。
鎌倉時代の根本史料たる吾妻鏡の如きは管見を以てせば或は其性質は誤解せられ、其史料としての價値は過大視せらるゝ者にあらざるなきか、左に逐次[#「逐次」は底本では「遂次」]其理由を述ぶべし。
(一)[#「(一)」は縦中横]吾妻鏡は果して純粹の日記なるや否や
日記類の史料中重要の地位を占むる所以は、單に其當時史料たるにあり、詳言すれば事實が其出來せし日に記載せらるゝを以てなり、出處分明といふが如きは必しも日記類の特長にはあらず、此點に於ける價値は日記者の觀察力の明否と、其公平と否と、及び其記述せる事實に對して日記者の位置如何、即出來せる事實と其記述との間に横はるべき外圍的媒介の性質によるものにして、事實が未確然たる認定を經ざる間に發生する日々の風説が、往々日記に上り得ることを思へば、此點に於ては、日記は却りて危險なる史料たることもなきにあらず、されば日記の史的價値は主として記憶なる者は時を經過すること長きに從ひて次第に精確なる再現を得べき能力を失ふべしとの原理に基づくものにして、苟も日記にして其日記たるの性質を失ひて追記の性質を帶ぶるに至らば、其史料としての價値が減殺せらるゝ所あるべきは至當の事なり、彼武家時代に於ける公卿縉紳の徒に王朝の盛時を顧み醉生夢死し、當時の天下の大勢に至りては※[#「りっしんべん+夢」の「夕」に代えて「目」、第4水準2−12−81]然として知るなきの輩多きも、而かも其日記が相應に史的價値を有するに至れる其所以亦偏に爰にありて存するなり。
吾妻鏡は果して純粹の日記なるや否や星野博士の吾妻鏡考にも
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文體ヲ審ニスルニ前後詳略アリ前半ハ追記ニシテ後半ハ逐次續録セシニ似タリ
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とありて徹頭徹尾純粹の日記にあらざることは博士既にこれを云はれたり。されど博士の所謂前半後半の經界は博士の吾妻鏡考中に見えざれば今高見を知悉するに由なし文治以前は措て論せず今其以後につきて追記と思惟せらるゝ二三の事實を列擧して以て蛇足を添へむと欲す。
建暦三年四月十六日の條に
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朝盛出家事郎從等走歸本所、告父祖等、此時乍驚、自閨中述出一通書状、披覽之處、處書載云叛逆之企、於今者定難被默止歟、雖然、順一族、不可奉射主君、又候御方、不可敵于父祖、不如入無爲、免自他苦患云々、義盛聞此事、太忿怒、已雖法體、可追返之由、示付四郎左衞門尉義直、(下略)
[#ここで字下げ終わり]
朝盛の出家に至りては既に公然の事實なれば何人の之を知るとも怪むに足らざれども其遺書の閨中に存せしこと并に其書中記載の事項に至りては遽に和田一門以外の人に洩るべきにはあらず、殊に書載云以下の事項に關しては和田氏未公然擧兵の事あらざる以前にありては、和田氏たる者力を竭して其秘密を保つべきことなるは理の當然なれば、此遺書の發見せられし當日に日記者の耳に達したりとせむ事頗危險なる斷案なり、故に吾妻鏡が此條の記事を以て信憑するに足るものとせば、追記したりとする方安全の推測なるべく、然らざれば、此事項は記者の臆斷にとゞまるに過ぎざるものとなるべし。
同年五月三日の條に
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御方兵由利中八郎維久、於若宮大路射三浦之輩、其箭註姓名、古郡左衞門尉保忠郎從兩三輩中此箭、保忠大瞋兮、取件箭返之處、立匠作之鎧草摺之間、維久令與義盛、奉射御方大將軍之由、披露云々
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同五月五日の條に
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去三日由利中八郎維久、奉射匠作事、造意之企也、已同義盛、可彼糺明之由、有其沙汰、被召件箭於御所之處、矢注分明也、更難遁其咎之旨、有御氣色、而維久陳申云、候御方防凶徒事、武州令見知給、被尋決之後、可有罪科左右歟云々、仍召武州、武州被申云、維久於若宮大路、對保忠發箭及度々、斯時凶徒等頗引返、推量之所覃、阿黨射返彼箭歟云々、然而猶以不宥之云々
[#ここで字下げ終わり]
五月三日の條と同五日の條とは若吾妻鏡が一人の手に成りたる日記なりとせば、明に其間に矛盾の存することを見るべく、此矛盾を解釋せんには三日の條の記事を以て追記なりとせざるを得ず、然らざれば三日に於て既に明白なる事實が、五日に於て疑義となること怪むべきことなり、且三日の記事は既に其中に於て矛盾を含めり、慥に御方に候せる維久が、故に矢を義盛に送りて泰時を射さしめたりといふが如きは、事實上あり得べからざることにして、此矛盾は益三日の記事の麁忽に追記せられたることを證する者なり。
承久兵亂の記事に至りては
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