云義顯云泰衡、非指朝敵、只以宿意誅亡之故也云々
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といへる記述は、文治五六年の記事と撞着して説明しがたきに至るべし。
 史料として吾妻鏡の價値は主として守護地頭其他の法制に關係ある事實にあり、これ吾妻鏡の史料は多く政所問注所に關係ある諸家の日記其他の記録なるべきの故のみにあらず、法制關係の事項は曲筆せるゝ危險の度比較的寡少なるを以てなり、其他の事項に關しても吾妻鏡は豐富なる史料を供給する者あれば、鎌倉時代の根本史料たることを失はざれども、法制關係を取除きての政治史の材料としては一種の傾向を有するよりして、從ひて往々曲筆を免れざるが故に、信憑すべき直接史料となし難きものなり。
 以上の私案は、吾妻鏡其者のみに就きて爲したる考察にして、此考察と雖、未充分なる商覈を經たりといふにあらざれば、此私案も不完全を免れざるは明なり、謹みて江湖博學の是正を俟つ、若夫れ吾妻鏡所載の各事實の考證に至りては本論の主とする所にあらざるなり。



底本:「日本中世史の研究」同文館
   1929(昭和4)年11月20日発行
初出:「史学雑誌 第9編第5、6号」
   1898(明治31)年5、6月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※建仁二年の日数の合計は、底本には八十五日とあるが、七十五日になる。建仁三年の日数は底本になし。
入力:はまなかひとし
校正:土屋隆
2010年1月21日作成
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