半ば全く追記なり、若追記なりとせざれば、此日記者は數多の分身を有する人ならざるべからず、承久三年五月廿四日までは記者は鎌倉を中心として記述をなすと雖、廿五日の條に至りては初に
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自廿二日至今曉、於可然東士者、悉以上洛、於京兆所記置其交名也
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と鎌倉の事を記し、而して同日の條に
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今日及黄昏、武州至駿河國、爰安東兵衞尉忠家云々
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と駿河國に起れる事件を記す、日記者はこれよりして二個の分身を有す。
 廿六日の條に初は
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始行世上無爲祈祷於鶴岡云々
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と鎌倉に起れる事件を記して而して、同日の條
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武州者着于手越驛云々
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また
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今日晩景秀澄自美濃國[#ここから割り注]去十九日遣官軍所被固關方之也[#ここで割り注終わり]重飛脚於京都申云、關東士云々
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とあり記者の分身の數は爰に於て更に一個を増せり。
 同廿九日の條に
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佐々木兵衞太郎信實[#ここから割り注]兵衞盛綱法師等[#ここで割り注終わり]相從北陸道大將軍[#ここから割り注]朝時[#ここで割り注終わり]令上洛、爰阿波宰相中將[#ここから割り注]信成卿亂逆之張本[#ここで割り注終わり]家人河勾八郎家賢[#ここから割り注]腰賢瀧口季後胤[#ここで割り注終わり]引率伴類六十餘人、籠于越後國加地庄願文山之間、信實追討之訖、關東士敗官軍之最初也
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 また同日の條に
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相州武州等率大軍上洛事、今日達叡聞云々、院中上下消魂云々
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爰に至りて分身の數更に二個を増して一は北陸にあり一は京師にあり。
 同晦日の條に
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相州著遠江國橋本驛云々
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とこれによりて見れば記者にはなほ相州の身に添へる一分身ありけるなり、此の如く承久兵亂に關しては吾妻鏡は鎌倉に起りしことも北陸に起りしことも乃至は關西に起りしことをも皆各其起りし日にかけて之を載することなるが、此の如き早業は電信なるものゝ存せざりし當時にありては、日記者にして數多の分身を有するにあらざるより、決して成し得べからざることなり、
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