霊の感応するようなことは絶対にない。世人《せじん》断じて山師的宗教家の口車などに乗って、迷信家の仲間入りをしてはならない。
『悪霊の存在』の条下に、『魔群と称するものは、低級未発達の魂の集団である』と、のべてあるのは至言である。『悪』とはつまり『不完全』、又は『未発達』の代名詞で、純粋の悪霊そのものは存在せぬ。どんな悪霊でも、最後には皆《みな》浄化し、美化し、善化する。従ってどんな悪霊でも悉《ことごと》く神の子であり、神界の統治下にあるのである。抽象的の善玉、悪玉の永遠の争闘《そうとう》の如き思想は、一時も早く排斥すべきである。同時に霊界を一の清浄無垢の理想境と考える事も、亦《また》飛んでもない迷妄である。霊界は現界と同じく、玉石混淆《ぎょくせきこんこう》の差別の世界で、寸刻《すんこく》の油断もできない。これを知らずに幽明交通をするから、そこに多大の弊害が起るのである。初学の士は最初|成《な》るべく学識経験の積んだ指導者に就《つ》きて、這間の消息に通ずべく心懸けるのが安全であろう。
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      第二章 健全な生活

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