れて啓示はないのである。
 思え、啓示を漏らすべき道具は、いつも一人の人間である。かるが故に霊媒の思想霊媒の意見の多少混らぬ啓示は、絶対にあり得ない。何となれば、霊界の住人は、霊媒の心の中に見出さるる材料を運用するより外に、通信の途がないからである。無論できる限り、それ等の材料に補修改造を施し、且《か》つ真理に対する新見解を、これに注入すべく全力を挙げる。が、何と言っても既製品を使用するのであるから、必ずしも思う壺にはまらぬことがある。大体に於《おい》て霊界通信は、霊媒の心が受身になって居れば居るほど、又周囲の状態が良好であればあるほど、純潔性を保つことができるのである。試みにバイブルを繙《ひもと》いて見るがよい。必ずしも平均した出来栄でない。或《ある》部分には霊媒の個性の匂いがついて居る。或《あ》る部分は憑《かか》り方が不完全であった為めに、誤謬《ごびゅう》が混入して居る。或《あ》る部分には霊媒自身の意見が加味されている。就中《なかんずく》どの啓示にも、その時代の要求にあてはまる一種の特色があり、そのまま之《これ》を他の時代に適用することはできないのである。
 その然《しか》る所以《ゆえん》は、各自バイブルに就《つ》きて査《しら》ぶれば明瞭となるであろう。一例を挙げれば、かのイシアの啓示などがそれである。何と彼自身の個性の匂いが強烈なことであろう。無論彼も独一の神につきて説いて居る。
 が、それは極度に詩的空想に彩色《いろどら》れたもので、エゼキールの隠喩的筆法とは格段の相違がある。同様にダニエルは光の幻影を描き、ジュレミアは天帝の威力を説き、ホシアは神の神秘的象徴に耽《ふけ》って居る。エホバ神に何の変りもないのであるが、各自その天分に応じて、異った啓示を漏らして居る。ずっと後世になりても、その点に於《おい》て何の相違もない。ポーロとペテロは同一の真理を説き乍《なが》ら、必然的に別の角度から之《これ》をのぞいている。どちらの説く所も虚偽ではないが、しかしどちらも真理の一面にしか触れていない。インスピレーションは、神から来る。しかし霊媒は人間である。
 人々がバイブルを読んで心の満足を見出すのは、つまり自分自身の心の反映を、バイブルの中に見出すからである。神につきての知識と、理解とが、極めて貧弱である為めに、彼等は過去の啓示に満足し、別に新啓示に接して、自己の心胸を
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