ヘもういい加減耳に胼胝《たこ》が出来てもよさそうな筈だが、一向聞き倦《あ》きもせずに、にこにこしながら会槌《あいづち》を打っているのだから、これも不思議だ。
 たかが浅間山の麓《ふもと》で、いくぶん徳川時代の古駅の俤《おもかげ》をそのまま止めているというよりほかに何の変哲もない、こんな寥《さび》しい村が、一体何でそんなにいいのだろう? と他の人が聞いていたら、思うかも知れない。
 この間、辻村《つじむら》伊助の「スゥイス日記」を読んでいたら、リルケがその晩年を送りながら「ドゥイノ悲歌」を書いたシャトオ・ド・ミュゾオのある、ロオヌ河のほとりの、ラロンという村なんぞは、汽車で素通りしている。ああいう旅行者にとっては、取るに足りないような寒村が、かえって詩人にとっては仕事をよく実らせてくれるのかも知れないのである。

      三

 浅間山だけがすっかり雪雲に掩《おお》われ、その奥で一人で荒れているらしく、この山麓《さんろく》の村なんぞには、日が明るく射しながら、ちらちらと絶えず雪の舞っているようなことがある。そんな時なんぞ、どうかして不意にその雲の端が村の上にかかると、南に連なった山々のあたりにはくっきりと青空が見えながら、村全体が翳《かげ》って、ひとしきり吹雪《ふぶ》く。と思うと、すぐ又、ぱあと日があたってくる。ここでは、そんなような空合いの日がかなり多い。
 田部さんがリュックを背負って帰って行かれた七日の夕方も、そんな雪催《ゆきもよ》いだった。途中の落葉松林《からまつばやし》のはずれまでお見送りして、其処から一人で帰ってきながら、私はこの村にこうして一人で気儘《きまま》にいられるのを幸福に思わなければならないのかな、と考えたが、それにはいささか、半信半疑だった。
 それから二三日立ってから、去年の夏この村で知合いになった英夫君が、正月になったら送ってくれと云って頼んで置いた空気銃を東京からわざわざ持って来てくれた。
 翌日、一日じゅう二人で空気銃をもって森の中を駈歩いた。森の中はまだ雪が相当深い。これは狐の、これは兎の、それからこれは雉子か山鳥かどっちかだ、と雪の上に印せられている色んな足跡を、この間教えられたばかりのをおぼつかなく思い出しながら、そんなことを言い合っている間にいきなり私達の行手から飛び立つ鳥どもの羽音に、空気銃を手にしていることなんぞちょっと
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