vいながら、その轍を辿《たど》っていったら、やがて山にかかると、それが消え失せ、その代りに男女の足跡らしいのが入り乱れてついているので、更にそれを追って行くと、釘《くぎ》づけになった数軒の別荘の間から、私の前に突然、緑と赤とに塗られた雛型《ひながた》のように美しい三階建のシャレエが見え出した。南おもては一面の硝子《ガラス》張りだが、それがおりからの日光を一ぱいに浴びながら内部の暖気のためにぼうっと曇り、その中から青々とした棕櫚《しゅろ》の鉢植をさえ覗かせている。――近づいて標札を見ると、「Haus Sonnenschein」とある。ふん、こいつだなと思って、私はその家の前を何度も振り返りながら、素通りして、裏の山へ抜けようとしかけたが、頭上の大きな樅《もみ》の木からときおりどっと音を立てて雪が崩れ落ちてくるのに目が開けられないほどなので、又、引っ返してきた。その時ふいに、クリスマスに来たいと言ってきた阿比留信にこんなところに泊まらせてやったら愉快がるだろうと気まぐれに思い立って、そのままずかずかと裏木戸から這入《はい》って、台所を覗いて見ると、ストオヴの側で白いエプロンをかけた日本人の若い娘が卓の上に水仙の花を惜しげもなく一ぱい散らかして、いくつかの花瓶《かびん》にそれを活けていたが、私の意を伝えると、きのう主人夫婦も横浜から来たばかりで、何でも、もうクリスマスには大ぜいな客があるように申しておりましたけれども、……まあ、中へおはいりになってお待ち下さい、と人懐こそうに私の方をまじまじと見ながら、そう言い置いて、奥へ引っ込んでいった。私はもうそんなことはどうだっていいんだと云ったような、ぼうっとするような気持で、好い匂いのするストオヴに頬を赤くしながら、真白いエナメル塗りの台所の一隅に片寄せられてある、男と女の長靴から、さかんに湯気が立ちのぼっているのを見入っていた。……
二
いま、私の暮している追分ときた日には、村中で商いをしているのは、村はずれの居酒屋みたいなのと、煙草や駄菓子なんか売っているのと、たった二軒。――正月こっちへ来てから、無精を極め込んで、一度も髭《ひげ》をあたらずにいたが、或る日、ぶらりと軽井沢まで汽車に乗って理髪店に行った。軽井沢の町だって、いまは大抵の店は何処《どこ》かへ店ごとそっくり荷送されでもしそうな具合に、すっかり四方
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