けたまま、その手帳を無雑作に手に丸めて持ちながら、一種|苛《い》ら立《だ》たしいような気持で、爺やが薪を焚きつけているのを見ている外はなかった。
 爺やはそういう苛ら苛らしている私の方を一度も振りかえろうとはせずに、黙って薪を動かしていたが、この人の好い単純な老人には私はそんな瞬間にもふだんの物静かな奥様にしか見えていなかったろう。……それからこの夏私の来るまで此処《ここ》で一人で本ばかり読んで暮していたらしい菜穂子だって私にはあんなに手のつけようのない娘にしか思われないのに、この爺やにはやっぱり私と同じような物静かな娘に見えていたのだったろう。そしてこういう単純な人達の目には、いつも私達は「お為合せな」人達なのだ。私達がどんなに仲の悪い母娘《おやこ》であるかと云う事をいくら云って聞かせてみてもこの人達にはそんな事は到底信ぜられないだろう。……そのときふとこういう気が私にされてきた。実はそういう人達――いわば純粋な第三者の目に最も生き生きと映っているだろう恐らくは為合せな奥様としての私だけがこの世に実在しているので、何かと絶えず生の不安に怯《おび》やかされている私のもう一つの姿は、私が
前へ 次へ
全66ページ中45ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング