事は、しかし、まだずいぶんと世間知らずの女であった私には、人間の運命のはかなさを何か身にしみるように感じさせただけだった。そうしてお父様がお亡くなりなさる前に、私に向って「生きていたらお前にもまた何かの希望が出よう」と仰《おっ》しゃられたお言葉も、私にはただ空虚なものとしか思えないでいた。……
 
 生前、お前のお父様は大抵夏になると、私と子供たちを上総《かずさ》の海岸にやって、御自分はお勤めの都合でうちに居残っていらっしゃった。そうして、一週間ぐらい休暇をおとりになると、山がお好きだったので、一人で信濃《しなの》の方へ出かけられた。しかし山登りなどをなさるのではなく、ただ山の麓《ふもと》をドライヴなどなさるのが、お好きなのであった。……私はまだその頃は、いつも行きつけているせいか、海の方が好きだったのだけれど、お前のお父様の亡くなられた年の夏、急に山が恋しくなりだした。子供たちは少し退屈するかも知れないが、何だかそんなさびしい山の中で、一夏ぐらい誰とも逢わずに暮したかったのだ。私はその時ふとお父様がよく浅間山の麓のOという村のことをお褒《ほ》めになっていたことを憶《おも》い出した。何
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