折、そこに避難された方のうちにでもお父様と同じようにすっかり好きになった者があるのだろうと笑いながら仰しゃっていた。が、あんまり淋しいところだし、不便なことも不便なので、二三年人のはいったきりで、そのまま使われずにいる別荘も少なくはないらしかった。――そんな別荘の一つでも買って、気に入るように修繕したら、少し不便なことさえ辛抱すれば、結構私たちにも住めるかも知れない。そう思ったものだから、私は人に頼んで手頃な家を捜して貰うことにした。
私は漸と、数本の、大きな楡《にれ》の木のある、杉皮葺《すぎかわぶ》きの山小屋を、五六百坪の地所ぐるみ手に入れることが出来た。風雨にさらされて、見かけはかなり傷《いた》んでいたけれど、小屋のなかはまだ新しくて、思ったより住み心地がよかった。子供たちが退屈しはしないかとそれだけが心配だったが、むしろそんな山の中ではすべてのものが珍しいと見え、いろんな花だの昆虫などを採っては大人しく遊んでいた。霧のなかで、うぐいすだの、山鳩だのがしきりなしに啼《な》いた。私が名前を知らない小鳥も、私たちがその名前を知りたがるような美しい啼き声で囀《さえず》った。流れのふちで桑の葉などを食べていた山羊《やぎ》の仔《こ》も、私たちの姿を見ると人なつこそうに近よってきた。そういう仔山羊とじゃれあっているお前たちを見ていると、私のうちには悲しみともなんともつかないような気もちがこみ上げてくるのだった。しかしその悲しみに似たものは、その頃私には殆ど快いほどのものに、それなくしては私の生活は全く空虚になるだろうと思えるほどのものになってしまっていた。
それから何やかやしているうちに数年が過ぎたのであった。とうとう征雄は大学の医科にはいった。将来何をするか、私は全く自由に選ばせて置いたのだった。が、その医科にはいった動機と云うのが、その学業に特に興味を抱いているからではなくて、むしろ物質的な気もちが主になっているのを知った時、私は、なんだか胸の痛くなるような気がした。それはこのままに暮していたのでは私たちの僅かな財産もだんだん減るばかりなので、私はそれを一人で気を揉《も》んでいたけれど、そんな心配は一ぺんもまだ子供たちに洩《も》らしたことなど無い筈であった。が、征雄はそういう点にかけては、これまでも不思議なくらい敏感であった。そういう征雄がどちらかと云うと一体に
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