すがよろしゅうございますか、安宅さんが行かれなかったら私一人でも参りますよ、などとまで仰《おっ》しゃった。ほんの気まぐれからそう仰しゃったのではなく、何だかお一人でもいらっしゃりそうな気がしたほどだった。

 それから一週間ばかり立った、或る日の午後だった。私の別荘の裏の、雑木林のなかで自動車の爆音らしいものが起った。車などのはいって来られそうもないところだのに誰がそんなところに自動車を乗り入れたのだろう、道でも間違えたのかしらと思いながら、丁度私は二階の部屋にいたので窓から見下ろすと、雑木林の中にはさまってとうとう身動きがとれなくなってしまっている自動車の中から、森さんが一人で降りて来られた。そして私のいる窓の方をお見上げになったが、丁度一本の楡の木の陰になって、向うでは私にお気づきにならないらしかった。それに、うちの庭と、いまあの方の立っていらっしゃる場所との間には、薄《すすき》だの、細かい花を咲かせた灌木《かんぼく》だのが一面に生い茂っていた。――そのため、間違った道へ自動車を乗り入れられたあの方は、私の家のすぐ裏の、ついそこまで来ていながら、それらに遮《さえぎ》られて、いつまでもこちらへいらっしゃれずにいた。それが私には心なしか、なんだかお一人で私のところへいらっしゃるのを躊躇《ちゅうちょ》なさっていられるようにも思えた。
 私はそれから階下《した》へ降りていって、とり散らかした茶テエブルの上などを片づけながら、何喰わぬ顔をしてお待ちしていた。やっと楡の木の下に森さんが現われた。私ははじめて気がついたように、惶《あわ》ててあの方をお迎えした。
「どうも、飛んだところへはいり込んでしまいまして……」
 あの方は、私の前に突立ったまま、灌木の茂みの向うにまだ車体の一部を覗《のぞ》かせながら、しきりなしに爆音を立てている車の方を振り向いていた。
 私はともかくあの方をお上げして置いて、それからお隣りへ遊びに行っているお前を呼びにでもやろうと思っているうちに、さっきからすこし怪しかった空が急に暗くなって来て、いまにも夕立の来そうな空合いになった。森さんは何だか困ったような顔つきをなさって、
「安宅さんをお誘いしたら、何だか夕立が来そうだから厭《いや》だと云っていましたが、どうも安宅さんの方が当ったようですな……」
 そう云われながら、絶えずその暗くなった空を気になさ
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