気なく見過ごしていたが、それが最初の家から移し植えたものであり、また紫陽花《あじさい》という名であるのを知ったのは、私がもう十二三になってからだった。それまでながい間、私はその花の咲いているのを見ていると、どうしてこうも自分の裡《うち》に何ともいえずなつかしいような悲しみが湧《わ》いてくるのだか分からないでいた。

註三 「掘割づたいに曳舟通《ひきふねどおり》から直《す》ぐさま左へまがると、土地のものでなければ行先の分らないほど迂回《うかい》した小径《こみち》が三囲稲荷の横手を巡《めぐ》って土手へと通じている。小径に沿うては田圃《たんぼ》を埋立てた空地《あきち》に、新しい貸長屋がまだ空家のままに立並んだ処《ところ》もある。広々とした構えの外には大きな庭石を据並べた植木屋もあれば、いかにも田舎《いなか》らしい茅葺の人家のまばらに立ちつづいている処もある。それ等《ら》の家の竹垣の間からは夕月に行水をつかっている女の姿の見える事もあった。……」
    これは荷風の『すみだ川』の一節であるが、全集を見ると明治四十二年作とあるから、まだ私が五つか六つの頃である。それだから、私の記憶はこれほどは
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