入れているために――そこにパラドクシカルな、悲痛な美しさを生じさせているのにちがいないのだった。若しそれらを彼が本当にその詩を書いたのち綺麗《きれい》さっぱりと撥《のぞ》き去ってしまったなら、その詩人はひょっとしたらその詩をきっかけに、だんだん詩なんぞは書かなくなるのではないか、という気が私にされぬでもなかった。
それほど、私はより高い人生のためにそれらの小さなものが棄て去られることには半ば同意しながら、しかしその一方これこそわれわれの人生の――少くとも人生の詩の――最も本質的なものではないかと思わずにはいられない幼年時代のささやかな幸福、――それをこの赤まんまの花たちはつつましく、控目《ひかえめ》に、しかし見る人によっては殆《ほとん》ど完全な姿で代表しているのだ。……
「それはそうと、赤まんまの花って、いつ頃咲いたかしら? 夏だったかしら? それとも……」と私は自分のうちの幼時の自分に訊《き》く。その少年はしかしそれにはすぐ答えられなかった。そう、赤まんまの花なんて、お前ぐらいの年頃には、年がら年じゅうあっちにもこっちにも咲いていたような気がするね。……
いわばそれほど、季節季節
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