てから、再び一人で水漬《みずつ》いた家々の方へ引っ返していった。
私達は、その土手の混雑のなかで、同じように女子供だけで何処かへ避難しようとしているお竜ちゃんの一家のものにひょっくり出会った。本当にひさしぶりでまともに顔を見合わせたお竜ちゃんと私とは、そういう思いがけない邂逅《かいこう》に、思わず二人ともにっこりともしないで、怒ったように真面目《まじめ》に見つめ合った。母たち同志が二言三言立ち話をし合っている間、水の中を自分で歩いてきたらしいお竜ちゃんは、佐吉におぶさっている私の傍にきて、そんな恰好《かっこう》をしているところを見られて一人で羞《はずか》しがっている私を、しかし何とも思わないように、只なつかしそうに見上げながら、
「弘ちゃんたちは何処へ行くの?」ときいた。
「…………」私ははにかんで、口もきかれなかった。
「神田の方ですよ」いつもお竜ちゃんと仲の悪い佐吉が、私に代って突慳貪《つっけんどん》な返事をした。
「…………」お竜ちゃんはそんな佐吉の方を憎そうに見かえして、それから、「ほんとう?」ときくように私の方を見上げた。
私はただ首肯《うなず》いて見せた。
「私たちは王子へ行くの……ずいぶん遠いのよ……」お竜ちゃんは何か私に同情されたいように云った。
それきりで私達は別れなければならなかった。
が、こういうような出来事のおかげで、お竜ちゃんとこうやって思いがけず仲直りのできたのが、私には本当に嬉《うれ》しかった。逢《あ》ったのがたかちゃんの方でなくってよかった、そんなことまで私は子供らしい身勝手さで考えた位だった。それもただお竜ちゃんに逢えただけではない、このまますぐ別れるのでなかったら再び昔のように仲好くなれそうになった事で、私は小さな胸を一ぱいにさせていた。そのためそんないつまた逢えるかも知れない別離そのものさえ、殆ど私を悲しませなかったほどだった。
私達の避難したのは、神田の或《ある》裏通りにある「きんやさん」という、父の懇意にしていた、大きな問屋だった。
その昔風の、問屋がまえの、大きな家は、昼間から薄暗かった。細い櫺子《れんじ》の窓からだけ明りを採り入れている部屋部屋の、ずっと奥まった中の間のような所に、私達は寝泊りしていた。そうして私達はいつもおおぜい人のいる店の方へはめったに行かないで、狭い路地にひらかれている、裏の小さなくぐ
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