ち、今度はひっそりした殆《ほとん》ど人気のない東亜通りを、東亜ホテルの方へ爪先《つまさ》きあがりに上った。その静かな通りには骨董店《こっとうてん》だの婦人洋服店だのが軒なみに並んでいる。ヒル・ファルマシイだとか、エレガントだとか云う店は毎年軽井沢に出張しているので私には懐しく、ちょっとその前を素通りしかねた。とあるネクタイ屋のショオウィンドに洒落《しゃ》れたネクタイが飾ってあるので近づいて行って、覗こうとしたら、何処からか犬が私たちに吠《ほ》えついた。あたりを見廻しても、犬なんかいないのだ。やっと気がついて頭を持ち上げて見ると、そのネクタイ屋の二階には看板の代りに、このへんの大概の洋館のようにバルコンがついていて、そこの緑色の亜字欄に精悍《せいかん》そうなシェパアドが一匹縛りつけられていたが、そいつが私たちに吠えているのであった。ネクタイ屋の看板にしては、これはすこし物騒《ぶっそう》すぎる。聖公教会の門のところに、まるで葡萄《ぶどう》の房《ふさ》みたいに一塊《ひとかたま》りに、乞食《こじき》どもがかたまっている。私たちがそれを不思議そうに見過ごしながら、それからすこし急な坂を上ってゆく
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