か聞覚えてしまったヴィットリアの「アヴェ・マリア」の一節などを、ふいとそれがさもその教会の中から聞えてきつつあるかのように自分の裡《うち》に蘇《よみがえ》らせたりするのだった……
*
八月の末になってから、その夏じゅう追分で暮していた津村信夫君が、きのう追分に来たという神保《じんぼ》光太郎君と連れ立って、他に二三人の学生同伴で、日曜日の朝、ひょっくり軽井沢に現われ、その教会の弥撒《ミサ》に参列しないかと私を誘いに来てくれたので、私も一しょについて行った。冬、一度その教会の人けのない弥撒に行ったことがあるきりで、夏の正式の弥撒はまだ私は全然知らなかった。
みんなで教会の前まで行くと、既に弥撒ははじまっていて、その柵《さく》のそとには伊太利《イタリイ》大使館や諾威《ノルウェー》公使館の立派な自動車などが横づけになり、又、柵のなかには何台となく自転車が立てかけられていた。私達はその柵の中へはいろうとしかけながら、誰からともなしに少し躊躇《ためら》い出していた。そうして三人でちょっと顔を見合せて、困ったような薄笑いをうかべた。丁度、そんな時だった、私達の背後からベルを鳴らしながら、二人の金髪の少女が自転車でついと私達を追い越すやいなや、柵の入口のところへめいめいの自転車を乗り捨てて、二人ともお下げに結った髪の先をぴょんぴょん跳ねらしながら、いそいで教会の中へ姿を消した。
私達はその姉妹らしい少女らの乗り捨てていった自転車の尻に、両方とも「ポオランド公使館」という鑑札のついているのを認めた。それは丁度、ドイツがポオランドに対して宣戦を布告した、その翌日だった。私達は立ち止ったまま、もう一度顔を見合せた。
私達は、おそらくきょうこの教会に集まってきている人達は、それぞれの祖国の危急をおもって悲痛な心を抱いているものばかりであろうのに、そんな中へ心なしにも数人でどやどやとはいって行くのが少々気がひけて来たのだった。が、それだけにまた一層、いましがたそういう人達の中に雑《まじ》っていった二人のポオランドの少女が私達の心をいたく惹《ひ》いた。私達はこんども誰からともなく思い切ったように教会のなかへはいって行った。そうしてめいめい他の人達のように十字は切らないで、一人ずつ、内陣の方へ向って丁寧に頭を下げながら、まだすこし空いていた、うしろの方の藁椅子《わらいす》の上に順々に腰を下ろした。
一番うしろの藁椅子を占めた私は、しばらく黙祷《もくとう》の真似のような事をしていたが、やがて目を上げて、さっきの二人の少女の姿を会衆のうちに捜し出した。すぐ彼女たちの可愛らしいお下げ髪が目に止った。彼女たちは一番前列に、面※[#「巾+白」、第4水準2−8−83]《おもわ》をかぶった母親らしい中年の婦人の傍に、跪《ひざまず》きながら無邪気に掌を合わせてお祈りをしていた。
私はそういうお下げ髪の少女たちの後姿にいつまでも目をそそいでいたが、そのうち何気なく、立原の形見の一つである、パスカル少年のうたったドビュッシイの歌なぞを胸に浮ばせていた。それはドビュッシイが晩年病床にあって、無謀なドイツ軍のベルギイ侵入の事を聞き、家も学校も教会もみんな焼かれてしまった可哀そうな子供たちのために、彼等の迎えるであろうわびしいクリスマスを思って、作曲したものだった。
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〔Noe:l ! petit Noe:l ! n'allez pas chez eux,〕
N'allez plus jamais chez eux, punissez−les !
[#ここで字下げ終わり]
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(クリスマスよ、クリスマスよ、どうぞ彼等のところへは行かないで。
もう決して行かないで。そうして彼等を懲らしてやっておくれ。)
[#ここで字下げ終わり]
いま、そうやっていたいけな様子でお祈りを続けているそのポオランドの少女たちが、ふいと立ち上るなり、いまにもそんな悲しい叫びを発しそうな気がする。そう、この歌のレコオドはまあ何という偶然の運命から私の手もとに今あるのだろう。ちょっとその少女たちを私の家に連れていってそれを聴かせてやったら、まあ彼女たちはどんなに目を赫《かがや》かす事だろう……と、そんな事を考えているうちに、ふいと眼頭《めがしら》の熱くなりそうになった目をいそいで脇へ転じると、其処では、何か考え深そうな面持をしているドイツ人らしい両親の間に挟《はさ》まれた、まだ幼い、いかにも腕白者らしい子供が、彼から少し離れた席にいる同じような年頃の、しかし髪なぞをもう綺麗に分けている子供に向って、しきりに顔つきや手真似でからかいかけているのなどがひょいと目に映ったりした。私のすぐ前に並んで腰かけている津村君と神保君は、私のように行儀悪くしないで、じっとさっきから神妙に頭を下げつづけているらしかった。
弥撒《ミサ》が了《おわ》って、なんだか亢奮《こうふん》しているような顔のおおい外人達の間に雑《まざ》りながら、その教会から出てきた時は、私達もさすがに少しばかり変な気もちになっていた。私達は、教会のまわりにあちらこちらと一塊りになって立ち話をしだしている外人達からずんずん離れて、まだ教会の中に残っているらしいポオランドの少女たちの事を気づかいながら、しかししばらくは黙ったまんまで歩いていた。それは何か一しょに好いものを見てきたあとで、いつも気の合った友人達の上に拡がる、あの共通の快い沈黙であった。
これから森のなかの私の家へ寄ってお茶でも飲もう、――そういう事に決めてからも、私達はとかく沈黙がちに林道の方へ歩いて行った。こうやって津村君、神保君、それから僕、野村少年と、みんな揃っているのに、当然そこにいていい筈の立原道造だけのいない事が、だんだん私にはどうにも不思議に思えてきてならなかった。そう云えば、なんだか私ははじめて彼が私達の間にいないのに気がつき出したかのようだった。……
底本:「堀辰雄集 新潮日本文学16」新潮社
1969(昭和44)年11月12日発行
1992(平成4)年5月20日16刷
入力:横尾、近藤
校正:松永正敏
2003年12月12日作成
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