るや否や、誰にも知らさずに、すぐ軽井沢に立ってきた私達に、次ぎのような手紙を添えて、私達にささやかな贈り物をしてくれた。――「御結婚のおよろこびを申し上げます。お祝いのしるしにフランスの『木の十字架』教会の少年たちのうたった聖歌をお贈りいたします。美しい村でおくらしになる日、森のなかの草舎でこの歌がきかれる初夏、花々のことなど、一切のきょうのあわれに美しい僕の夢想を花束に編んで、それに添えた心持でお贈りいたします。それからもうひとつのは、去年の秋の奇妙な出来事が僕にえらばせた歌なのですが、これはお祝いのしるしというのではなしに、ただ、あの不意に家のなくなってしまった日のかたみのために、高原の村ぐらしのなかにお持ちになっていただきたかったのでございます。沢山の幸福とよろこびと潤沢な日日とを恵まれますように。道造」――その贈り物というのは二枚のレコオドで、その一つはフランス旧教会ラ・クロア・ド・ボア教会小聖歌隊の合唱したヴィットリアの「アヴェ・マリア」とパレストリイナの「贖主《あがないぬし》の聖母よ」。もう一つはクロオド・パスカルという少年歌手の独唱したドビュッシイの晩年の歌曲「もう家もない子等のクリスマス」。――文中の去年の秋の出来事というのは、私や立原なんぞが一しょに暮していた追分の脇本陣《わきほんじん》(油屋)が火事になって二人とも着のみ着のままに焼け出された出来事のことである。――私達はその贈り物をよろこんで受けて、わざわざ山の家まで携えてきたが、小さなポオタブル位はなんとか手に入れて持ってくる筈だったのがうまく行かなくて、只、その贈り物は机の上に飾っておいた。とうとうその山の家ではそれを一度も聴く機会が得られなかった。……
私達の山の家へは、五月の半ば頃、立原はその新しい愛人とはじめての旅行を軽井沢に試みたときに既に訪れたことがあったのだそうだ。丁度、私の父が急病になって私達が東京に帰っていた間のことらしい。立原たちは、私達が留守でも構わずに、その山の家のヴェランダで三時間ばかり昼寝をしたり遊んだりしていたのだなどと、夏、又二人でやって来たとき私達にはじめて打ち明けて言うのだった。
「ほら、あそこにそのとき僕が楽書《らくがき》をした跡がある……」
そう云って、物憂そうに椅子に首をもたせたまま、疲れた一羽の鳥のような、大きなぎょろっとした目で彼が見上げている
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