ス。私は何度もそのサナトリウムの入口に立っては、電報で呼び寄せたお前の父の来るのを待ち切れなさそうにしていた。やっと真夜中近くになって父は着いた。しかしお前はそういう父をちらりと見ながら、脣《くちびる》のまわりにふと微笑ともつかないようなものを漂わせたきりだった。父は何も云わずにそんなお前の憔悴《しょうすい》し切った顔をじっと見守っていた。そうしてはときおり私の方へいかにも不安そうな目を向けた。が、私はそれには気がつかないようなふりをして、唯、お前の方ばかりを見るともなしに見やっていた。そのうちに突然お前が何か口ごもったような気がしたので、私がお前の傍に寄ってゆくと、殆ど聞えるか聞えない位の小さな声で、「あなたの髪に雪がついているの……」とお前は私に向って云った。――いま、こうやって一人きりで火の傍にうずくまりながら、ふいと蘇ったそんな思い出に誘われるようにして、私が何んの気なしに自分の手を頭髪に持っていって見ると、それはまだ濡れるともなく濡れていて、冷めたかった。私はそうやって見るまで、それには少しも気がつかずにいた。……
[#地から1字上げ]十二月五日
この数日、云いようもな
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