竄オなかったかしら? ほら、あの山小屋の話さ、そんな山の中に私達は住めるのかしらと云って、あのときはお前は無邪気そうに笑っていたろう? ……実はね、こんどお前がサナトリウムへ行くと言い出しているのも、そんなことが知《し》らず識《し》らずの裡《うち》にお前の心を動かしているのじゃないかと思ったのだ。……そうじゃないのかい?」
彼女はつとめて微笑《ほほえ》みながら、黙ってそれを聞いていたが、
「そんなこともう覚えてなんかいないわ」と彼女はきっぱりと言った。それから寧《むし》ろ私の方をいたわるような目つきでしげしげと見ながら、「あなたはときどき飛んでもないことを考え出すのね……」
それから数分後、私達は、まるで私達の間には何事もなかったような顔つきをして、フレンチ扉《ドア》の向うに、芝生がもう大ぶ青くなって、あちらにもこちらにも陽炎《かげろう》らしいものの立っているのを、一緒になって珍らしそうに眺め出していた。
※[#アステリズム、1−12−94]
四月になってから、節子の病気はいくらかずつ恢復期《かいふくき》に近づき出しているように見えた。そしてそれがいかにも遅々としてい
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