閧ニ見入っているのが自分であるような自分でないような、変に茫漠《ぼうばく》とした、取りとめのない、そしてそれが何んとなく苦しいような感じさえして来た。そのとき私は自分の背後で深い息のようなものを聞いたような気がした。が、それがまた自分のだったような気もされた。私はそれを確かめでもするように、彼女の方を振り向いた。
「そんなにいまの……」そういう私をじっと見返しながら、彼女はすこし嗄《しゃが》れた声で言いかけた。が、それを言いかけたなり、すこし躊躇《ためら》っていたようだったが、それから急にいままでとは異った打棄《うっちゃ》るような調子で、「そんなにいつまでも生きて居られたらいいわね」と言い足した。
「又、そんなことを!」
私はいかにも焦《じ》れったいように小さく叫んだ。
「御免なさい」彼女はそう短く答えながら私から顔をそむけた。
いましがたまでの何か自分にも訣《わけ》の分らないような気分が私にはだんだん一種の苛《い》ら立《だ》たしさに変り出したように見えた。私はそれからもう一度山の方へ目をやったが、その時は既にもうその風景の上に一瞬間生じていた異様な美しさは消え失せていた。
その晩、私が隣りの側室へ寝に行こうとした時、彼女は私を呼び止めた。
「さっきは御免なさいね」
「もういいんだよ」
「私ね、あのとき他のことを言おうとしていたんだけれど……つい、あんなことを言ってしまったの」
「じゃ、あのとき何を言おうとしたんだい?」
「……あなたはいつか自然なんぞが本当に美しいと思えるのは死んで行こうとする者の眼にだけだと仰《おっ》しゃったことがあるでしょう。……私、あのときね、それを思い出したの。何んだかあのときの美しさがそんな風に思われて」そう言いながら、彼女は私の顔を何か訴えたいように見つめた。
その言葉に胸を衝《つ》かれでもしたように、私は思わず目を伏せた。そのとき、突然、私の頭の中を一つの思想がよぎった。そしてさっきから私を苛ら苛らさせていた、何か不確かなような気分が、漸《ようや》く私の裡《うち》ではっきりとしたものになり出した。……「そうだ、おれはどうしてそいつに気がつかなかったのだろう? あのとき自然なんぞをあんなに美しいと思ったのはおれじゃないのだ。それはおれ達[#「おれ達」に傍点]だったのだ。まあ言って見れば、節子の魂がおれの眼を通して、そしてただおれの流儀で、夢みていただけなのだ。……それだのに、節子が自分の最後の瞬間のことを夢みているとも知らないで、おれはおれで、勝手におれ達の長生きした時のことなんぞ考えていたなんて……」
いつしかそんな考えをとつおいつし出していた私が、漸《や》っと目を上げるまで、彼女はさっきと同じように私をじっと見つめていた。私はその目を避けるような恰好《かっこう》をしながら、彼女の上に跼《かが》みかけて、その額にそっと接吻した。私は心から羞《はず》かしかった。……
※[#アステリズム、1−12−94]
とうとう真夏になった。それは平地でよりも、もっと猛烈な位であった。裏の雑木林では、何かが燃え出しでもしたかのように、蝉がひねもす啼《な》き止《や》まなかった。樹脂のにおいさえ、開け放した窓から漂って来た。夕方になると、戸外で少しでも楽な呼吸をするために、バルコンまでベッドを引き出させる患者達が多かった。それらの患者達を見て、私達ははじめて、この頃|俄《にわ》かにサナトリウムの患者達の増え出したことを知った。しかし、私達は相かわらず誰にも構わずに二人だけの生活を続けていた。
この頃、節子は暑さのためにすっかり食慾を失い、夜などもよく寝られないことが多いらしかった。私は、彼女の昼寝を守るために、前よりも一層、廊下の足音や、窓から飛びこんでくる蜂や虻《あぶ》などに気を配り出した。そして暑さのために思わず大きくなる私自身の呼吸にも気をもんだりした。
そのように病人の枕元で、息をつめながら、彼女の眠っているのを見守っているのは、私にとっても一つの眠りに近いものだった。私は彼女が眠りながら呼吸を速くしたり弛《ゆる》くしたりする変化を苦しいほどはっきりと感じるのだった。私は彼女と心臓の鼓動をさえ共にした。ときどき軽い呼吸困難が彼女を襲うらしかった。そんな時、手をすこし痙攣《けいれん》させながら咽《のど》のところまで持って行ってそれを抑えるような手つきをする、――夢に魘《おそ》われてでもいるのではないかと思って、私が起してやったものかどうかと躊躇っているうち、そんな苦しげな状態はやがて過ぎ、あとに弛緩状態《しかんじょうたい》がやって来る。そうすると、私も思わずほっとしながら、いま彼女の息づいている静かな呼吸に自分までが一種の快感さえ覚える。――そうして彼女が目を醒《さ》ますと、私はそ
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