。そうしてまだ生ま生ましいような皮がいくつももう板に拡げて張りつけられてあるのが見え、皮を剥《は》がされた肉の塊りが道ばたまでころがり出していた。
「こいつはかなわないや。一番の苦が手だ。もう一ぺん駅までひっかえして、訊《き》いてみよう。」
僕はさっさとそっちへ背を向けて、もう泥濘の中だろうとなんだろうと構わずに、その街道を突っ切りだした。そのときひょいと目を上げると、ちょうど鼻のさきに小さな道標が立っている。それでみると右が板橋、左が三軒屋。両方とも約二|粁《キロ》位。――そうそう、板橋という部落はなんだか聞いたことがある。たしか、そこにはわびしい旅籠屋《はたごや》なんぞもあったはずだ。二粁ぐらいなら、思い切って往ってみようかと、M君と相談していると、――その板橋のほうへ通じている、片方は林で、もう一方は草原になった、真直な街道を、何処からどう抜け出したのか、さっきちらりと駅で見かけた猟師が二人、大きな猟犬を先立てながら、さっさと歩いてゆくのが見える。
「往こう。」と僕は言った。
「ええ。」M君もそれにすぐ応じた。
僕たちはその猟師たちのあとを追うようにしてその街道を歩き出した。どこもかもひどい泥濘だが、道のへりなどにはまだすこし雪が残っている。そんな雪のうえを択んで歩き歩き、ときどき片側の枯木林を透かしながら赤岳だの横岳だのをちかぢかと目に入れたり、もう一方の、まだかなり雪が残っていそうな、果てしなく広い草原のはるかかなたを、甲武信《こぶし》の国境の薄白い山々が劃《くぎ》っているのを眺めたりしていると、なかなか好いことは好い。日光もほどよく温かで、こうして歩いているとすこし汗ばんでくる位。――だが、ものの十分とたたないうちに、僕たちの前方を歩いていた猟師たちは、急に林の中へでもはいってしまったのか、もう影も形も見えない。そのかわりに、いつのまにか、僕たちの背後には重そうな鞄《かばん》を背負った郵便配達夫がひとり姿をあらわし、黙々として泥濘のなかを歩きつづけながら、傍目もふらずに僕たちを追い越そうとしているのだった。――僕たちも何かそれにつりこまれたように、ふたりとも急に黙り合って、ぼんやりと立ち止まったまま、その郵便配達夫の通り過ぎるのを見送っていた。
僕たちはとうとう二人きりになってしまうと、別にいそぐ旅でもないので、雪のまだかなりありそうな草原のほうへ
前へ
次へ
全64ページ中42ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング