向うの金堂《こんどう》や塔などが立ち並んでおのずから厳粛な感じのするあたりとは打って変って、大いになごやかな雰囲気を漂わせていてしかるべき一廓《いっかく》。――だが、この二三年、いつ来てみても、何処か修理中であって、まだ一度もこのあたりを落ちついた気もちになって立ちもとおったことがない。
 いまだにそのまわりの伝法堂などは板がこいがされているが、このまえ来たとき無慙《むざん》にも解体されていた夢殿だけは、もうすっかり修理ができあがっていた。……
 そこで僕はときどきその品のいい八角形をした屋根を見あげ見あげ、そこの小ぢんまりとした庭を往ったり来たりしながら、
 
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ゆめどのはしづかなるかなものもひにこもりていまもましますがごと
義疏《ぎそ》のふでたまたまおきてゆふかげにおりたたしけむこれのふるには
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 そんな「鹿鳴集」の歌などを口ずさんでは、自分の心のうちに、そういった古代びとの物静かな生活を蘇《よみがえ》らせてみたりしていた。
 僕は漸《ようや》く心がしずかになってから夢殿のなかへはいり、秘仏を拝し、そこを出ると、再び板がこいの傍をとおって、いかにも虔《つつ》ましげに、中宮寺の観音を拝しにいった。――
 それから約三十分後には、僕は何か赫《かがや》かしい目つきをしながら、村を北のほうに抜け出し、平群《へぐり》の山のふもと、法輪寺《ほうりんじ》や法起寺《ほっきじ》のある森のほうへぶらぶらと歩き出していた。
 ここいら、古くはいかるがの里と呼ばれていたあたりは、その四囲の風物にしても、又、その寺や古塔にしても、推古時代の遺物がおおいせいか、一種蒼古な気分をもっているようにおもわれる。或いは厩戸皇子のお住まいになられていたのがこのあたりで、そうしてその中心に夢殿があり、そこにおける真摯《しんし》な御思索がそのあたりのすべてのものにまで知《し》らず識《し》らずのうちに深い感化を与え出していたようなことがあるかも知れない。そうしてこのあたりの山や森などはもっとも早く未開状態から目覚めて、そこに無数に巣くっていた小さな神々を追い出し、それらの山や森を朝夕うちながめながら暮らす里人たちは次第に心がなごやかになり、生きていることのよろこびをも深く感ずるようになりはじめていた。……
 そうだ、僕はもうこれから二三年勉強した上でのことだ
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