腕を一ぱいに拡げながら、何処か遥かなところを、何かをこらえているような表情で、一心になって見入っている阿修羅王《あしゅらおう》の前に立ち止まっていた。なんというういういしい、しかも切ない目ざしだろう。こういう目ざしをして、何を見つめよとわれわれに示しているのだろう。
それが何かわれわれ人間の奥ぶかくにあるもので、その一心な目ざしに自分を集中させていると、自分のうちにおのずから故しれぬ郷愁のようなものが生れてくる、――何かそういったノスタルジックなものさえ身におぼえ出しながら、僕はだんだん切ない気もちになって、やっとのことで、その彫像をうしろにした。それから中央の虚空蔵菩薩《こくぞうぼさつ》を遠くから見上げ、何かこらえるように、黙ってその前を素通りした。
[#地から1字上げ]夜、寝床の上で
とうとう一日中、薄曇っていた。午後もまたホテルに閉じこもり、仕事にもまだ手のつかないまま、結局、ソフォクレェスの悲劇を再びとりあげて、ずっと読んでしまった。
この悲劇の主人公たちはその最後の日まで何んという苦患《くげん》に充ちた一生を送らなければならないのだろう。しかも、そういう人間の苦患の上には、なんの変ることもなく、ギリシアの空はほがらかに拡がっている。その神さびた森はすべてのものを吸い込んでしまうような底知れぬ静かさだ。あたかもそれが人間の悲痛な呼びかけに対する神々の答えででもあるかのように。――
薄曇ったまま日が暮れる。夜も、食事をすますと、すぐ部屋にひきこもって、机に向う。が、これから自分の小説を考えようとすると、果して午後読んだ希臘悲劇《ギリシアひげき》が邪魔をする。あらゆる艱苦《かんく》を冒して、不幸な老父を最後まで救おうとする若い娘のりりしい姿が、なんとしても、僕の心に乗ってきてしまう。自分も古代の物語を描こうというなら、そういう気高い心をもった娘のすがたをこそ捉まえようと努力しなくては。……
でも、そういうもの、そういった悲劇的なものは、こんどの仕事がすんでからのことだ、こんど、こちらに滞在中に、古い寺や仏像などを、勉強かたがた、僕が心《こころ》愉《たの》しく書こうというのには、やはり「小さき絵」位がいい。
まあ、最初のプランどおり、その位のものを心がけることにして、僕は万葉集をひらいたり埴輪《はにわ》の写真を並べたりしながら、十二時近くまで起きてい
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