だ、それからゲエテも讀まう。私は自分の跡にどんなジグザグな線が殘るか知らないが、ともかくもこの二つの相異つた精神について行つてやらう。その一方が詩に對する私のやや性急な愛をもつと平靜な愛[#「平靜な愛」に傍点]に變へてくれるだらうならば、また一方は*、私のこれまで殆ど打棄らかしておいた自己の考へへの誠實[#「自己の考へへの誠實」に傍点]を養つてくれるだらう。
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* プルウストのなげやりな混雜した文體は私の簡潔な文體への好みを困らせる。しかしそれはガボリイも言ふやうに、彼の美徳――誠實であること[#「誠實であること」に傍点]の結果であるやうに見える。私は今までのなまじつかな簡潔さよりも、さう云ふ誠實な混亂[#「誠實な混亂」に傍点]を欲しいのだ。
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※[#アステリズム、1−12−94]
私がその秋のはじめに讀んだジョルジュ・ガボリイの「マルセル・プルウストに就いてのエッセイ」は、彼の内部に眠つてゐたものがプルウストによつて呼び醒まされた過程を精しく語つてゐて、面白い。
プルウストの死んだのはある冬の晩(一九二二年十一月八日)だつた。前から彼が重態であることは知つてはゐた。しかし彼の側近ではなかつたので、ガボリイはその翌朝、新聞を讀んではじめてその死を知つたのだつた。新聞にはごく小さな記事しか出てゐなかつた。それにはただ彼が一九一九年度のゴンクウル賞の受賞者だつたと云ふことだけが書かれてゐた。
「それは日曜日だつた。私は、アペリティフの時間になつてもまだブウルヴアルのあるカッフェの中に、プルウストが死んだといふことなぞ知らない人々の間に、坐つてゐた。私はボオドレエルの死を、そしてその死を知つたにちがひない人々のことを夢想した。それから私は再びプルウストの死の上に戻つて行つた。……私のホテルの部屋には、花模樣のある机掛で掩はれたテエブルの上に、『囚はれの女*』の原稿が載つてゐるのだ。……晩、私はそこに歸つて行つた。しかし、どうしても私はそれを讀み續けるやうな氣にはならなかつた。私のことを子供らしいと云ふ奴は云ふがいい。だが、前もつて自分の容態をはつきり知つてゐて、一生の間あんなにも死について考へてゐたその死者のことを思へば、この、タイプライタアで打たれてあるとは云へ、彼の手が觸れ、
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