どうしてもこれを書いてしまはなけれは他のものには手がつかないやうな氣持だつた。
私はそれを書き上げた翌日、上野の美術館にフランス繪畫展覽會を見に行つた。そして私はたくさんの騷がしい乾いた印象しか受けないやうな繪の前を通り過ぎた後、一枚の大きなパステルの前までくると、そこに三十分ばかり私は釘づけにされた。その畫面一ぱいに何だか得體の知れぬ壞れたものがごたごた[#「ごたごた」に傍点]に積み上げられてゐる間から、或る不思議な靜寂がひしひしと感じられてくるのだつた。そして私にはその苦しさうな古代的靜けさのみがひとり眞實なもののやうに感じられ、それだけが現代にしつかりと根を張つてゐるやうに思へた。それはジォルジオ・デ・キリコの「戰勝標《トロフェ》*」だつた。
「こんな繪を見せられちやたまらないなあ――」
昂奮してその繪の前を去りながら、私はただ溜息をついた。私はひどく疲れたやうな氣がした。そしてなんだか急に自分の書き上げたばかりの作品があまり性急で、あまり乾いてゐるやうに思へだした。
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* そのキリコの繪と向ひ合つてピカビアの數枚の繪が並んでゐた。ピカビアは古代とたはむれてゐる。それをからかつてゐる。だからその繪は騷しいだけなのだ。さう云ふ缺點がキリコの古代のやうに靜かな繪の前だけに一層目立つて見えた。
[#ここで字下げ終わり]
※[#アステリズム、1−12−94]
眠りから醒めた瞬間、いま夢みてゐたばかりのごたごた[#「ごたごた」に傍点]した不確かな事物の間から、一つの像――たとへば一つの女の顏だけが、私の目にありありと殘つてゐる。そしてその不思議な美しさが、私に、以前から彼女に對して抱いてゐる愛をその時はじめて氣づかせるやうなことがある。キリコの繪のなかの漂流物の間に混つてゐた一個の青ざめた石膏の首はそれに似てゐた。
※[#アステリズム、1−12−94]
今、考へて見ると、さう云ふキリコの悲痛な繪を自分の二十代が終らうとしてゐる瞬間に私が見たと云ふことは何か意味がありさうに思へるのだ。
その繪を見てきてから數日といふもの、私はへんに切なくてならなかつた。キリコの悲痛な美しさが、そしてこの頃そんなキリコの繪にだけすがりついてゐるやうに見えるコクトオの苦しい氣持が、私には今まで
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