ろところ道もなき山路にさまよひて」という前書がある。そんな山のなかで、鷲の巣らしいものがかかっている、大きな楠の枯れ枯れになった枝を透いて日が真赤になってくるめき入る光景だろう。鷲の巣は見たことがない、しかし、楠の老木は嘗《か》つて見たことがある。上信国境にある牧場のまんなかに、その大木がぽつんと一本だけ立っていた。その孤独な姿がいかにも印象的だった。そういう記憶があるせいか、この凡兆の句にある楠も、僕には、そんな山のなかに他の木《こ》むらからも離れて、ぽつんと一本だけ立っている老木のような気がする。
 学生(目をつぶりながら)「鷲の巣の楠の枯枝に日は入りぬ」――凄いなあ。
 主 そんな句がみごとに浮ぶこともある。かとおもうと、随分くだらないことを思い出して、いつまでもひとりで感傷的な気分になっていることもある。或日などは、昔、村の雑貨店で買った十銭の雑記帳の表紙の絵をおもい浮べていた。雪のなかに半ば埋もれて夕日を浴びている一軒の山小屋と、その向うの夕焼けのした森と、それからわが家に帰ってゆく主人と犬と、――まあ、そういった絵はがきじみた紋切型の絵だ。或日、その雑記帳を買ってきて僕がなんということもなくその表紙の絵をスゥイスあたりの冬景色だろう位におもって見ていたら、宿の主人がそばから見て、それは軽井沢の絵ですね、とすこしも疑わずに言うので、しまいには僕まで、これはひょっとしたら軽井沢の何処かに、冬になって、すっかり雪に埋まってしまうと、これとそっくりな風景がひとりでに出来あがるのかもしれない、と思い出したものだ。そうしたら急に、こんな絵はがきのような山小屋で、一冬、犬でも飼うて、暮らしたくなった。その夢はそれからやっと二三年立って実現された。――その冬は、おもいがけず悲しい思い出になったが、それはともかくも、あの頃の――立原などもまだ生きていて一しょに遊んでいた頃の僕たちときたら、まだ若々しく、そんな他愛のない夢にも自分の一生を賭《か》けるようなことまでしかねなかった。まあ、そういう時代のかたみのようなものだが、――その十銭の雑記帳の表紙の絵を、僕はこういう落日を前にして、しみじみと思い浮べているようなこともあるしね。……だが、きょうは、君のおかげで、枯木林のなかの落日の光景がうかぶ。雪の面《おもて》には木々の影がいくすじとなく異様に長ながと横わっている。それがこころもち紫がかっている。どこかで頬白がかすかに啼《な》きながら枝移りしている。聞えるものはたったそれだけ。(そのまま目をつぶる。)そのあたりには兎やら雉子《きじ》やらのみだれた足跡がついている。そうしてそんな中に雑《ま》じって、一すじだけ、誰かの足跡が幽《かす》かについている。それは僕自身のだか、立原のだか……。
 学生 急に寒くなってきましたね。もう窓をしめましょうか。



底本:「昭和文学全集 第6巻」小学館
   1988(昭和63)年6月1日初版第1刷発行
底本の親本:「堀辰雄全集 第3巻」筑摩書房
   1977(昭和52)年11月30日初版第1刷発行
初出:「新潮」
   1946(昭和21)年3月号
初収単行本:「堀辰雄作品集第六・花を持てる女」角川書店
   1948(昭和23)年4月1日
※筑摩書房の全集版の底本は角川書店版による。
※初出情報は、「堀辰雄全集 第3巻」筑摩書房、1977(昭和52)年11月30日、解題による。
入力:kompass
校正:門田裕志
2004年1月21日作成
2007年8月29日修正
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