して置いたのだ。
 或る朝、二人は公園のなかに自動車をドライヴさせていた。
 噴水のほとりに、扁理が一人の小さい女と歩いているのを、彼女たちが見つけたのはほとんど同時だった。その小さい女は黄と黒の縞の外套《がいとう》をきていて、何か快活そうに笑っていた。それと並んで扁理は考え深そうにうつむきながら歩いていた。
「あら!」と絹子が車の中でかすかに声を立てた。
 と同時に彼女は、彼女の母がもしかしたら扁理たちに気づかなかったかも知れないと思った。そうして彼女自身もそれに気づかなかったような風をしようとした。
「なんだか目の中にゴミがはいっちゃったわ……」
 夫人は夫人でまた、絹子が扁理たちを見なかったことを、ひそかに欲していた。そうして、ほんとうに目の中にゴミかなんか入って彼等を見なかったのかも知れないと思った。
「びっくりしたじゃないの……」
 そう言って、夫人は自分の心持蒼くなっている顔をごまかした。

    ※[#アステリズム、1−12−94]

 その沈黙はしかし、二人の間にながく尾をひいた。
 それからというもの、絹子はよく一人で町へ散歩に出かけた。彼女は心の中のうっとうしさを
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