だその病室の前にその白いスウェタアを着た青年が、さすがにもう声に出して泣いてはいなかったけれど、やはり同じように両腕で顔を掩《おお》いながら立ち続けているのを見出した。菜穂子はこんどは我知らず貪《むさぼ》るような眼つきで、その青年の震える肩を見入りながら、その傍を大股にゆっくり通り過ぎた。
菜穂子はその日から、妙に心の重苦しいような日々を送っていた。機会さえあれば看護婦を捉えて、その若い娘の容態を自分でも心から同情しながら根掘り葉掘り聞いたりしていた。しかし、その若い娘がそれから五六日後の或夜中に突然|喀血《かっけつ》して死に、その白いスウェタア姿の青年も彼女の知らぬ間に療養所から姿を消してしまった事を知ったとき、菜穂子は何か自分でも理由の分からずにいた、又、それを決して分かろうとはしなかった重苦しいものからの釈放を感ぜずにはいられなかった。そしてその数日の間彼女を心にもなく苦しめていた胸苦しさは、それきり忘れ去られたように見えた。
八
明は相変らず、氷室《ひむろ》の傍で、早苗と同じようなあいびきを続けていた。
しかし明はますます気むずかしくなって、相手には滅多に口さえ
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