彼の目先にちらついている、菜穂子がその絵姿の中心となった、不思議に重厚な感じのする生と死との絨毯《じゅうたん》の前にあっては、いかに薄手《うすで》なものであるかを考えたりしていた。彼のいま陥《お》ち込《こ》んでいる異様な心的興奮が何かそんな考えを今までの彼の安逸さを根こそぎにする程にまで強力なものにさせたのだった。――森林の多い国境辺を汽車が嵐を衝《つ》いて疾走している間、圭介はそう云う考えに浸り切りになって殆ど目もつぶった儘にしていた。ときおり外の嵐に気がつくようにはっとなって目をひらいたが、しかし心《しん》が疲れているので、おのずから目がふさがり、すぐまた夢うつつの境に入って行くのだった。そこでは又、現在の感覚と、現在思い出しつつある感覚とが絡《から》まり合《あ》って、自分が二重に感ぜられていた。いま一心に窓外を見ようとしながら何も見えないので空《くう》を見つめているだけの自分自身の眼つきが、きのう山へ著《つ》くなり或半開の扉のかげからふと目を合わせてしまった瀕死《ひんし》の患者の無気味な眼つきに感ぜられたり、或はいつも自分がそれから顔をそらせずにはいられない菜穂子の空《うつ》けた
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