っくう》にさせていた。九月になって、その学生たちが引き上げてしまうと、例年のように霖雨《りんう》が来て、こんどはもう出ようにも出られなかった。爺やたちも私があんまり所在なさそうにしているので陰では心配しているらしかったが、私自身にはそうやって病後の人のように暮らしているのが一番好かった。私はときどき爺やの留守などに、お前の部屋にはいって、お前が何気なくそこに置いていった本だとか、そこの窓から眺められるかぎりの雑木の一本一本の枝ぶりなどを見ながら、お前がその夏この部屋でどういう考えをもって暮らしていたかを、それ等のものから読みとろうとしたりしながら、何か切ないもので一ぱいになって、知《し》らず識《し》らずの裡《うち》に其処で長い時間を過ごしていることがあった。……
そのうちに雨が漸《や》っとの事で上がって、はじめて秋らしい日が続き出した。何日も何日も濃い霧につつまれていた山々や遠くの雑木林が突然、私達の目の前にもう半ば黄ばみかけた姿を見せ出した。私は矢っ張何かほっとし、朝夕、あちこちの林の中などへ散歩に行くことが多くなった。余儀なく家にばかり閉じこもらされていたときはそんな静かな時間を自分に与えられたことを有難がっていたのだったけれど、こうして林の中を一人で歩きながら何もかも忘れ去ったような気分になっていると、こういう日々もなかなか好く、どうしてこの間まではあんなに陰気に暮らしていられたのだろうと我ながら不思議にさえ思われてくる位で、人間というものは随分勝手なものだと私は考えた。私の好んで行った山よりの落葉松林《からまつばやし》は、ときおり林の切れ目から薄赤い穂を出した芒《すすき》の向うに浅間の鮮な山肌をのぞかせながら、何処までも真直に続いていた。その林がずっと先きの方でその村の墓地の横手へ出られるようになっていることは知っていたけれど、或日私は好い気持になって歩いているうちにその墓地近くまで来てしまい、急に林の奥で人ごえのするのに驚いて、惶《あわ》ててそこから引っ返して来た。丁度その日はお彼岸の中日だったのだ。私はその帰り道、急に林の切れ目の芒の間から一人の土地の者らしくない身なりをした中年の女が出てきたのにばったりと出会った。向うでも私のような女を見てちょっと驚いたらしかったが、それは村の本陣のおようさんだった。
「お彼岸だものですから、お墓詣《はかまいり》に一
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