自分だけで取り残されているような寂しさがひしひしと感ぜられて来た。この思いがけない出来事は、しかし、まだずいぶんと世間知らずの女であった私には、人間の運命のはかなさを何か身にしみるように感じさせただけだった。そうしてお父様がお亡くなりなさる前に、私に向って「生きていたらお前にもまた何かの希望が出よう」と仰しゃられたお言葉も、私にはただ空虚なものとしか思えないでいた。……

 生前、お前のお父様は大抵夏になると、私と子供たちを上総の海岸にやって、御自分はお勤めの都合でうちに居残っていらっしゃった。そうして、一週間ぐらい休暇をおとりになると、山がお好きだったので、一人で信濃の方へ出かけられた。しかし山登りなどをなさるのではなく、ただ山の麓《ふもと》をドライヴなどなさるのが、お好きなのであった。……私はまだその頃は、いつも行きつけているせいか、海の方が好きだったのだけれど、お前のお父様の亡くなられた年の夏、急に山が恋しくなりだした。子供たちは少し退屈するかも知れないが、何んだかそんなさびしい山の中で、一夏ぐらい誰とも逢わずに暮らしたかったのだ。私はその時ふとお父様がよく浅間山の麓のOという村のことをお褒めになっていたことを憶《おも》い出《だ》した。何んでも昔は有名な宿場だったのだそうだけれど、鉄道が出来てから急に衰微し出し、今ではやっと二三十軒位しか人家がないと云う、そんなO村に、私は不思議に心を惹《ひ》かれた。何しろお父様が初めてその村においでになったのは随分昔のことらしく、それでお父様はよく同じ浅間山の麓にある外人の宣教師たちが部落しているK村にお出かけになっていたようであるが、或る年の夏、丁度お父様の御滞在中に、山つなみが起って、K村一帯がすっかり浸水してしまった。その折、お父様はK村に避暑していた外人の宣教師やなんかと共に、其処から二里ばかり離れたO村まで避難なさったのだった。……その折、昔の繁昌《はんじょう》にひきかえ、今はすっかり寂れ、それがいかにも落着いた、いい感じになっているこの小さな村にしばらく滞在し、そしてこの村からは遠近の山の眺望が実によいことをお知りになると、それから急にお病みつきになられたのだ。そうしてその翌年からは、殆んど毎夏のようにO村にお出かけになっていたようだった。それから二三年するかしないうちに、そこにもぽつぽつ別荘のようなものが建ち出
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