だかりがしていた。その大部分土地の者らしい人達は口数少く話し合いながら、ときどき何か気になるように戸口近くに立っている彼女の方へ目をやっていた。
 二つか三つ先きの駅で今の下りと入れちがいになって来る上り列車がやがて此の駅にはいって来るらしかった。
 彼女はふとその上り列車も片側だけ雪で真白になっているだろうかしらと想像した。それから突然、何処かの村で明もそうやって片側だけ雪をあびながら有頂天になって歩いている姿が彷彿《ほうふつ》して来た。さっきから彼女が外套の衣嚢《かくし》に突込んで温めていた自分の凍えそうな手が、手袋ごしに、まだ出さずにいた姑宛の手紙と革の紙入れとを代る代るに押さえ出しているのを彼女自身も感じていた。
 それまでストーヴを囲んでいた十数人の人達が再び其処を離れ出した。菜穂子はそれに気がつくと、急に出札口に近寄って、紙入れを出しながら窓口の方へ身をかがめた。
「何処まで?」中から突慳貪《つっけんどん》な声がした。
「新宿。……」菜穂子はせき込むように答えた。

 彼女の想像したとおりの、片側だけ真白に雪のふきつけた列車が彼女の前に横づけになったとき、菜穂子は眼に見ることの出来ない大きな力にでも押し上げられるようにして、その階段へ足をかけた。
 彼女のはいって行った三等車の乗客達は、雪まみれの外套に身を包んだ彼女の只ならぬ様子を見ると、揃って彼女の方をじろじろ無遠慮に見出した。彼女は眉をひそめながら「私はきっと険《けわ》しい顔つきでもしているのだろう」と考えた。が、一番端近かの、居睡りしつづけている鉄道局の制服をきた老人の傍に坐り、近い山や森さえなんにも分からないほど雪の深い高原の真ん中へ汽車がはいり出した時分には、皆はもう彼女の存在など忘れたように見向きもしなかった。
 菜穂子は漸《ようや》く自分自身に立ち返りながら、自分の今しようとしている事を考えかけようとした。彼女はそのとき急に、いつも自分のまわりに嗅《か》ぎつけていた昇汞水《しょうこうすい》やクレゾオルの匂の代りに、車内に漂っている人いきれや煙草のにおいを胸苦しい位に感じ出した。彼女にはそれが自分にこれから返されようとしかけている生の懐しい匂の前触れでもあるかのような気がされた。彼女はそう思うと、その胸苦しさも忘れ、何か不思議な身慄《みぶる》いを感じた。
 窓の外には、いよいよ吹き募っている
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