う」と私は考え続けていた。「……いつも、いくらお母さんのだって、お墓なんぞはといった気もちでいた。そういった気持で、自分がお母さんのために何をしようとしまいと、いってみればお母さんのことなど考えようと考えまいとおんなじだ、といったように、お母さんというものに安心しきっていられたのだ。だが、すべてを知ってみると、なんだかお母さんの事がかわいそうでかわいそうでならなくなる。このころ漸《ようや》っとおれにはお母さんの事が身にしみて考えられるようになってきたのだ。……」
 こんな場末の汚《きたな》い寺の、こんな苔だらけの墓の中に、おまけに生前に見たこともないような人達と一しょになって、――と云うよりも、その佗《わ》びしい墓さえ、いまの私には、いわば、自分にとってかけがえのないものに思われた。
 私はその墓を一巡してみた。そしてはじめて母の戒名がどこに刻せられてあるかを捜した。すると、墓の側面の一隅に「微笑院……」とあるのを見つけた。ほんとうを云うと、それを忘れていはすまいかと思ったが、その三字を認めるとすぐそれが思い出せた。その下方に大正十二年九月一日|歿《ぼつ》と刻せられてあるのが、気のせい
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