、皆にひと踊り踊ってみせた。そんな俗踊をいつのまにか見よう見真似《みまね》で覚えてしまったのである。
私の生父は、裁判所などに出ていても、謹厳一方の人ではなかったらしく、三味線の音色を何よりも好んでいたそうである。その血すじをひいた生父のことはもうすっかり忘れてしまって、私のことをかわいがっていてくれる新しい父や母やそのほかの人々の間で、何も知らず、ただ無心に、おばさんの三味線に合わせながら「猫じゃ、猫じゃ」を踊っていた、小さな道化ものの自分の姿が、いま思いかえしてみると、自分のことながらなかなかにあわれ深く思えてならない。……
七
雪の下のたいそう美しく咲いていた、田端の、おじさんとおばさんとの家で、私が六月の日の傾くのも知らずに聞いた自分の生《お》い立ちや私の母の話を、以上、そのままにざあっと書いてみた。
いまの私には、父の死の前後から中絶しがちになっていた小説「幼年時代」を再び取り上げて、書きつづける気もちにはどうしてもなれないので、それはそれで打ち切り、こんど改めておばさんたちに聞いた話は、此処《ここ》にはほんの拾遺のようなものとして附け加えておくに止
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