んに手をひかれて漸っとよちよちと歩きながら、そのへんなどに、ちょっと飛石でも打ってあるような、門構えの家でも見かけると、急に「あたいのうち……あたいのうち……」といい出して、その中へちょこちょこと駈けこんでいってしまって、みんなをよく困らせたそうだ。
それからもう一つ。――その頃よく町の辻《つじ》などに仁丹《じんたん》の大きな看板が出ていて、それには白い羽のふさふさとした大礼帽をかぶって、美しい髭《ひげ》を生《は》やした人の胸像が描かれてあった、――それを見つけると、私はきまってそのほうを指《さ》して、「お父うちゃん……」といってきかなかった、漸っとそのお父うちゃんというのが言えるようになったばかりの幼い私は。……それはおそらく自分の父がそういう美しい髭を生やした人であったのをよく覚えていたからでもあったろう。それにひょっとしたら私の父が何かの折にそんな文官の礼装でもしていたところを見たことでもあって、それをまだどこかで覚えていたのかも知れない。……
長いこと脳をわずらっていた、父浜之助が遂《つい》に亡くなったときは、私ももう七八つになっていたろう。私は三つのとき、母の手にひかれ
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