か、私には妙に痛ましく感ぜられた。
 私はいつか墓を一巡して、再び正面に立った。墓に向って左側に、一本の黄楊《つげ》の木が植えられているが、いまはその木かげになって半ば隠れてよく見えなくなっている、一基の小さな墓がある。いつか妻と二人して、どうしてその子供らしい墓だけが一つ離れて立っているのだろうといぶかしんだ奴《やつ》だが、それが私の小梅の父とおようさんとの間にできた子の墓なのであろう。何んと刻せられているかと思って、私は柵の外から黄楊の木の枝をもちあげながら、見てみたが、脆《もろ》い石質だとみえて石の面が殆《ほと》んど磨滅していて、わずかに「……童……」という一字だけが残っているきりだった。それが男の子だかも、女の子だかも、もう知るよしもないのである。――
 もう誰にもかえりみられることのない、そんな薄倖な幼児の墓を私は何か一種の感動をもって眺《なが》めているうちに、ふいと、一瞬くっきりと、自分の知らなかった頃の小梅の父の、その子の父親としての若い姿が泛《うか》ぶような気がした。……
 そういう若い頃からの、この一|市井人《しせいじん》のこれまでの長い一生、震災で私の母を失ってからの十何年かの淋《さび》しい独居同様の生活、ことに病身で、殆んど転地生活ばかりつづけていた私を相手のたよりない晩年、――かなりな酒好きで、多少の道楽はしたようだが、どこまでもやさしい心の持ち主だった父は、私の母には常に一目《いちもく》置いていたようである。それは母の亡《な》くなったのちも、母のために我儘《わがまま》にせられていた私を前と変らずに大事にし、一たびも疎略にしなかったほどだった。私はその間の事情はすこしも知らなかったけれど、いつも父の愛に信じきってそれに裏切られたことはなかったのだった。
 その父をも晩年に充分いたわってあげることのできなかった自分を思うと、何んともいいがたい悔恨が私の胸をしめつけて来た。私はしばらくそれを怺《こら》えるようにして、父母の墓の前にじっと立ちつくしていた。

 そうやって私は二三十分ぐらいその墓のほとりにいてから、漸っとそこを離れて、錆《さ》びたトタン塀《べい》のほうに寄せて並べられてある無縁らしい古い墓石を一つ一つゆっくり見てゆきながら、とうとうその墓地から立ち出《い》でた。
 飛木|稲荷《いなり》の前を東に一二丁ほど往くと、そこが請地の踏切であ
前へ 次へ
全21ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング