|手古摺《てこず》ったらしい。……
「ベル」というのは、その時分、尼寺のそばに住んでいたおじさんのところで飼っていた大きな洋犬の名前で、私はその犬と大の仲好しだった。自分よりもずっと大きなその犬を、小さな私はいつも「お前、かわいいね……」といって撫《な》でてやっていたそうである。そうしてその頃私は犬さえ見れば、どんな大きな犬でもこわがらずに近づいていって、「ベル、ベル」と呼んでいた。
或る日、私は新しく自分の父になる人につれられて、何か犬の出てくる外国の活動写真を見にいった。私はそれを最後までたいへん面白がって見ていた。そんな事があってから、私はその新しい父のことを「ベルのおじちゃん」というようになってしまっていたのだった。
が、私は新しい父にもそのうちなついてしまった。そうなると、もうすっかりそれを本当のお父うさんだと思い込んで、その父の死ぬ日まで、そのまま、私は一ぺんもそんな事を疑ったりしたことはなかった。
その小梅の父が母と一しょになった頃は、それまでの放逸な生活を一掃したばかりのあとで、父はひどく窮迫していたらしい。なんでもおばさんの話によると、母がはじめて向島のはずれのその家に訪れてみると、なにひとつ世帯《しょたい》道具らしいものもなくて、まるであばら家のようななかに、父はしょんぼりと鰥暮《やもめぐ》らしをしていたのだった。……
父は彫金師であった。上条氏で、松吉というのが本名である。その父武次郎は、代々|請地《うけじ》に住んでいて、上野輪王寺宮に仕えていた寺侍であったが、維新後は隠居をし、長男|虎間太郎《こまたろう》を当時江戸派の彫金師として羽ぶりのよかった尾崎|一美《かずよし》に入門せしめた。その人が師一美に数ある弟子のうちからその才を認められて、一人娘を与えられ、その跡をつぐことになった。それが惜しくも業なかばにして病歿した上条|一寿《かずとし》である。それに弟が三人あって、揃《そろ》って一寿の門に入っていたが、兄の死後にはそれぞれ戸を構えて彫刻を業とした。その一番下の弟で、寿則《としのり》といっていたのが、私の父となった人である。
松吉は若いころは家業には身を入れず、仲間のものと遊び歩いてばかりいた。随分いたずらなこともしたらしい。或《ある》夏の深夜、友だちと二人で涼をとろうとして吾妻橋の上から大川に飛び込んだところを、丁度巡回中の巡査
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