果實のやうな匂ひの中に、再び身を埋めてゆくのであつた。
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[#地から2字上げ]「スワン家の方」※[#ローマ数字1、1−13−21]
私が諸君に讀まうと思つてゐるもう一つの一節は、プルウストが數秒間のことを描寫しながら僅か半頁足らずの中に收めることの出來た、感覺のみならず、感情の量をも諸君に感得せしめるだらう。それはオデットがとうとう打負かされてスワンの腕の中に身を投ずる瞬間だ。
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彼は彼のもう一方の手をオデットの頬にそうて上げた。彼女は彼を見つめた。あのフロレンス派の巨匠の描いた女たち(それに彼女がよく肖てゐると彼の思つてゐた)の持つてゐるやうな、物憂げな、重々しい樣子をして。そして彼女の輝かしい、大きい、しなやかな瞳は、その眼瞼《まぶた》の線にひつついて、まるで二粒の涙のやうに彼女の頬から落ちさうだつた。彼女は少し彼女の頸をかしげてゐた。あの基督教的であると同時に異教的な繪のなかですべての女たちがしてゐるやうに。そしてさういふ姿勢は、もともと彼女には習慣的のものではあつたし、それにまたかういふ瞬間にはそれが持つてこいであるのをよく知つてゐて、さうすることを忘れぬやうに心がけてゐたのであつたが、さういふ姿勢のままで彼女は自分の顏をスワンから離すために全力を出してゐるやうに見えた。あたかもそれが何かの見えない力によつてスワンの方へ引き寄せられてでもゐるかのやうに。そしてさういふ努力もとうとう空しかつたかのやうに彼女がその顏をスワンの脣の上に落してしまはないうちに、それを少し離して、一瞬間、兩手で支へてゐたのはかへつてスワンの方であつた。それは彼が、丁度、自分の非常に可愛がつてゐる息子の授賞式に與るべく招ばれてゐる兩親のやうに、そこに駈けつけ、あんなにも長い間あこがれてゐたその夢の實現を目のあたりに見ようとする瞬間を、出來るだけ自分の心に取つて置きたかつたからだ。恐らくまたスワンは、まだ自分のものにしてゐない、まだ接吻をしてゐない、そしてさういふものとしてはもう見納めになるであらう、このオデットの顏の上に、丁度その出發の日に、永久に立ち去らうとする風景を記憶して置かうとする、あの旅人のやうな眼ざしを注いでゐたのにちがひない。
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[#地から2字上げ]「スワン家の方」※[#ローマ数字2、1−13−22]
※[#アステリズム、1−12−94]
かかる厚さ(彼の本の)は、防禦力を完全に取上げられた精神的組織に依つて、或はそれを媒介としてのみ、生じ得るところの奇蹟だ。プルウストが人生からかくも驚くべき綿密さをもつて印象を受け取つたのは、彼が決して人生と爭はうとはしなかつたからだ。彼がこれだけ多くのものを得たのは、彼が最初何物をも欲しなかつたからだ。
さう、私がさつき語つた階段の降り方は、私にはますます象徴的に見えてくる。ペンキが彼の手袋にくつつくのは當然だつたのだ。そして第三者のみが、その間に入つて彼を保護し、彼の上への外界の粘着を禁じ得たのだ。
若しもプルウストの作品の重要性と獨創牲とが解したいならば、先づそれが何物をも避け得ない者の作品であることを考へよ。
※[#アステリズム、1−12−94]
しかし、我々はプルウストの性格の中に、彼の根元的な消極性及び印象過敏性の一方に積極的な性質を認めると共に、我々はそこに彼の作品の第二の相、彼の方法の別の獨創牲の現はれるのを見逃してはならない。
手袋の上のペンキの汚點《しみ》がある。しかし、一方にはまた、プルウストの強情、要求しそしてそれを手に入れるための彼の手腕、彼の貪慾、「彼の宿命のごとく思はれる受動的なるものを何か能動的なるものに變へんとする」努力、外貌に對する不信任、最初差し出されたものよりもつと堅固なる何物かを捉まへんとする欲求、眞理への熱情、があるのである。
コンブレエの一節を聞きたまへ。プルウストが感動に直面して本能的にとつた態度、いかなる眞に哲學的な欲求によつて彼の驚くべき享受性が展開するか、諸君に理解させたい。
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……突然、一つの屋根、一つの石の上の太陽の反射、一つの小徑の香りが、私を立ち止らせるのであつた。それらのものが私に與へてくれる或る特別な快さを樂しむために。それからまた、それらのものが私の眼に見えてゐるものの彼方に何物かを隱してゐるやうな風をしてゐて(私にはいかに努力をしてもそれが發見できなかつたが)それを取りに來るやうにと私を誘ふので。そして私はそれらのものの中に確かに何物かがあるやうに感じたので、私はそこにぢつと立止まつてゐた、動かずに、見つめつつ、呼吸しつつ、そして形象《イマアジュ》や匂の彼方に私の思考
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