と共に行かうとしながら。そしてもしも私のお租父さんに追ひつき、どんどん道を進んで行かなければならないやうな場合には、私は目をつぶりながら、それらのものを再び見出さうと努力した。私は屋根の線、石の色合ひを正確に思ひ浮べようとして一所懸命になつた。そして何故だか分らなかつたが、私にはそれらのものが今にも充ち溢れさうでもう半分開きかかつてゐ、そしてそれらのものがその覆ひになつてゐるところの、その中身をば將に私に手渡ししようとしてゐるかのごとく思はれるのであつた。
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[#地から2字上げ]「スワン家の方」※[#ローマ数字1、1−13−21]
かくのごとく子供の頃から、プルウストは自分の中に世界を非常に蠱惑的なるものとして受け入れると同時に、彼はそのものを理解すべく、そのものからそのもの以上の何物かを引き出すべく、「形象《イマアジュ》の覆ひの下に」隱されてゐる現實(物質的なものであるか觀念的なものであるか彼は知らぬが)を發見すべく彼を駈りやるところの――彼自身の言葉を借りれば――「困難な心の義務」を感じたのだ。
レイナルド・アァンは「プルウスト追悼號」の中で、實際においても彼がいかにその義務に忠實であつたかを示すところの、非常に意味深いアネクドオトを語つてゐる。
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私の到着した日、私達は庭園に散歩に待つた。私達はベンガルの薔薇の木の柵の前を通つた。そのとき彼は突然立止つた。私も足をとめた。がすぐ彼は歩き出した。私もさうした。すると彼はまた立止つた。そして私に、いつもの子供らしいすこし悲しさうな、やさしい調子で言つた。「僕だけもうすこし此處に居ても構はないでせうか? 僕はもう一度あの小さな薔薇の木が見たいのです。」私は彼から離れた。小徑の曲り角で、私は振返つて見た。マルセルは薔薇の木のところまで引返してゐた。館を一周して歸つてきた私は、さつきと同じところに彼がぢつと薔薇を見つめながら立つてゐるのを發見した。すこし首をかしげ、眞面目さうな顏つきをして、彼は目をまたたいてゐた。いかにも熱心に注意してゐるらしく眉を輕くひそめながら。そして彼の左手で熱心に、彼の小さな黒い口髭の端を自分の脣の間にはさんでは、それを噛んでゐた。私は、彼が私の足音を聞いて私の方を見たやうに思つたが、彼は私に話しかけようともせず、身動きさへもしなかつた。私
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