させようと思った。が、御物忌《おものいみ》やら何やらでなかなかそれを殿に御目にかける事が出来ないでいるらしかった。一方、頭の君は頭の君で、こちらの返事のいつまでもないのをしきりに怨《うら》んで入らっしゃるらしかった。仲に立って、道綱は一人で殆ど困っていた。ようやく殿の御返事のあったのを見ると、「おれがどうしてそんな事をまだ許すものか。そのうち考えて置こう、と右馬頭には言って遣っただけだ。返事はお前が好いように取做《とりな》せ。そんな姫のいる事さえ誰もまだ知ってはいない位だのに、若《も》しそんな右馬頭でもそちらに通ったりしてみろ、お前がおかしく思われてもしようがないぞ」といかにも心外な事らしく仰ゃって来られた。そんな事を言われれば、こちらだって腹が立つ。その腹いせのように、私はつい大人げなく頭の君にも「ちょっと殿の許に使いを遣りましたら、まるで唐土《もろこし》にでも行ったように長いことかかって、漸《ようや》く御返事をいただいて参りました。しかしそれを見ますと、ますます私には分かり兼ねる事ばかりなので、何んとも返事のいたしようがございませぬ」と手きびしい返事を書いてやった。そんな風にいつになく腹を立てた後で、ふと気がつくと、なんでもない事だろうと思っているうちに、急にすべての事がなんだか思いもよらない方へ往ってしまいそうな危惧《きぐ》が、其処には感じられないでもなかった。私はそれを感ずると、何がなし心の引き締まるような気もちがした。――そんなこちらの冷めたい返事にも、私の惧《おそ》れたとおり、頭の君はすこしもお懲りにならず、それどころか反って熱心に同じような御文をお寄こしになり出したのだった。もうそうなると、こちらではなるべくそれに取り合わないようにしているよりしようがなかった。
ところが、三月になり、或日の昼頃「右馬頭様がお出になりました」と言うことだった。突然だったのでびっくりしたが、私はすぐざわめき立った女房たちに「まあ静かにしてお出《いで》」とたしなめ、それを取次いだものには「好いから、いま、私達は留守だとお答えなさい」と言いつけた。
が、そうこうしているうちに、一人の品のいい青年が中庭からお這入りになっていらしって、目の疎《あら》い籬《まがき》の前にお立ち止まりになられたのが簾《みす》ごしに認められた。練衣《ねりぞ》を下に着て、柔かそうな直衣《のうし》を
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