その後一年と立たないうちに、その御方のところに女の御子様がお生まれになったとか云う事を耳にして、或日私がそれをそれとなく殿にお訊《き》きすると、「そう、そんな事もあったかも知れんな」と殿はいかにも冷淡そうに仰《おっし》ゃられたぎりだった。私の前なのでわざとそう素知らぬふりをして入らっしゃるばかりでもなさそうだった。そして、「どうだ、ひとつお前がその子を引き取って育ててやらないか?」などといつも子の少いのを歎いていた私に反って挑まれるように仰ゃられるのを、私は胸を刺されるような思いで聞いていた事も、今、ひょっくりと思い出す。しかし、そんな一昔前の自分と言ったら、只もう自分の不為合せな事ばっかしで胸を一ぱいにしていて、自分のほかにもそんなお傷《いたわ》しい御方さえいらっしゃる事なんぞ、知らずにいられたら知らずにいたい位だった。……
そういう一人よがりな私であったのに、それがこの頃、身も心も衰え出しているとでも云うのか、ときおり見る夢までが妙に気になってならない程で、行末なども何かと心もとなくて、自分が死んだ跡には道綱《みちつな》だけがただ一人ぎり頼りなく残されることを思うと気がかりでならなかった。数年このかた物詣《ものもうで》などするにつけてもどうかもう一人ぐらい女の子でもお授け下さるようにとお祈りし続けていたが、だんだんそんな望も絶えた年頃になり、もうこの上は何処からか賤《いや》しくない腹の女の子でも引き取って、それを養うよりほかはあるまいなどと、誰れかれにともなく私はそんな事を言い言いしていたのだった。……
――私は、恐らく殿なんぞにももう忘れられているかも知れないような、その不遇な少女を自分が引き取ってもいいような事を言うと、私にその話をした女房はすぐ伝手《つて》を求めて問い合わせて呉れたが、その日かげの花のように誰にも知られずにこっそりと大きくなった少女はもう十二三ぐらいになっているそうだった。そんないたいけな子だけを相手に、その不為合せな御方は、志賀の東の麓に、近江の湖を前に見、志賀の山を後ろにした、寂しい里に、言いようもなく心細く明し暮らして入らっしゃるとかいう事だった。その二人のお身の上をつぶさに聞けば聞くほど、何か私も身につまされて、そう云うお暮らしではさぞその御方もこの世に思いの残るような事ばかりであろうと思いやられるのだった。
その人の異腹の兄
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