鳥《ほととぎす》も、いまはすっかり私にも打ち解けて、殆ど絶え間もなしに啼《な》いていた。水鶏《くいな》だって、わが家の戸を叩いたかと思うくらい近くを啼いてゆく。――それにしても、何んとまあ物思い自身の巣くっているような栖《すみか》なのだろうかしら。それは自分から思い立ってこうして居るのだから、誰も訪れてくれる者はなくとも、ちっとも辛いなどとは思いもしないし、むしろ気安くていいとさえ思ってはいるものの、只、歎かわしいと思うのは、こう云う物思いにもってこいのような栖をさえ自分から好んでせずにはおられなくなった自分の宿世《すくせ》の切なさと、――それともう一つは、自分の死後に、日頃こうして自分の傍を離れずに長精進なども共にして頼もしげに見える此道綱が、他には力にすべき人も居ないのでさぞ世間にも出にくいだろう、それにこうして精進している自分と同じような粗末な物をばかり食べさせているので、この頃はよく喉《のど》にも通らぬらしいのを見るのが自分には辛くてしようがない。――そんな事を考え続けながら、こんな思いを自分もし又子供にまでさせて漸っとこうして自分が気安くしているのかと思うと、遂にはその気安さそのものさえ自分を苦しめ出してくるのだった。ああ、私は一体どうしたらよいのであろうか。……

 夕暮の入相《いりあい》の音、蜩《ひぐらし》のこえ、それからそれにつれて周囲の小寺から次ぎ次ぎに打ち鳴らされる小さな鐘などをぼんやり聞いていると、何んともかとも言いようのない気もちがされて来るのだった。
 身の穢《けがれ》れている間は、一日中、何もすることがないので、端近くに出ては、私はそうやってしまいには自分を言いようもなく苦しめ出すのが知れ切っているような物思いばかりをしていたのだったが、或夕方も私がそんな端近くでいつまでもぼんやりしていると、後ろから道綱が気づかわしそうに「もうおはいりになりませんか」と私に声をかけた。子供心にも私に物をあんまり深く思わせまいとするのだろう。しかしもう少しこうして居たいと思って、そのまま私がじっとしていると、再び道綱が「何だってそんな事をなすって入らっしゃるのですか。お体にだってお悪くはありませんか。それに、まろはもう睡くってたまりませんから」と言いかけるので、私はついそんな子供にまで、まるで自分自身に向って言いでもするように、「お前の事だけが気になって、
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