。今宵だけでもと思ってわたくしは此処へ参っているのです。もう夜も更けておりましょう。早くお帰りなさいませ」と返事をさせた。それからそんな文の往復を何度となく為合《しあ》った。一丁ほどの石段を上ったり下りたりしなければならないので、それを取り次いでいた道綱は、しまいには疲れ果てて、ひどく苦しそうな位にまでなった。その上、殿が、これ位の事がとりなせないのか、腑甲斐ない奴だな、などと大へん御気色が悪いと言って、いかにも切ながっていた。それを見ていた側の者たちはしきりに不便《ふびん》がっていたが、私は何処までも自分を守り通して拒絶したので、あの方もとうとう「よしよし、おれは穢れがあるからこのままこうしても居られない、車をかけてくれ」と[#「と」は底本では「とと」]仰ゃってそのまま御帰りなさるらしかった。私が覚えずほっとした気もちでいると、思いがけず、道綱までが、「まろもお送りして往きます。お車の後《しり》へでも乗せて往っていただきましょう。そうしてもう二度とまろもこちらへは参りませんから」と言い残したぎり、泣き顔をして出て往ってしまった。どんな事になったってこの子だけは自分のものだと思っていたのに、まあ、この子まで、何んて酷《むご》いことを言うのだろうと呆れながら、私はもう物も言えずにいた。が、しばらくして、皆がもう出て往ってしまっただろうと思える時分になって、ひょっくりと道綱だけが戻ってきた。そうして「お送りいたそうとしましたら、殿がお前はこちらで呼ぶとき来ればいいと仰せになりました」と言うなり、もう溜《たま》らなくなったように、そこに泣き崩れていた。本当にどういうお気もちなのだか自分にもわからなかったが、「いくらあの方だってお前までをこの儘《まま》になさりなどするものですか」と言いすかしながら、さまざまに道綱を慰めているうちに、いつか時は八つになっていた。こんな夜更けてからのお帰りを皆はお案じしながら、「路も大へん遠いのに、御供の人々も居合せたものだけしかお連れなウらなかったと見え、京の内の御歩きよりも人少なだったようでしたけれど――」などと言い合っていたが、私だけは無言のまま、強いてつれないような様子を見せていた。
しかし夜の明けかかる時分、道綱がゆうべの事をしきりに気にしては「御門のところからでも御機嫌伺いをして参りましょうか」と言いつづけているので、少しいじら
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