器官に現われるもしくは現われるように思われる場合、かかるものの観念のつねとするごとく、私が期待しないのに私にやってきたのでもない。またそれは私によって構像せられたのでもない。なぜなら、明かに、私は何物をもそれから引き去ることができず、何物をもそれにさらに加えることができないから。従って残るところは、あたかも私自身の観念がまた私に生具するのと同じように、この観念が私に生具するということである。
そしてたしかに、神が私を創造するにあたって、ちょうど技術家が彼の作品に印刻した自己のしるしであるかのように、この観念を私のうちに植えつけたということは、不思議ではない。またこのしるしが作品そのものとは別の或るものであることも必要ではない。しかしながら、神が私を創造したということ、ただこの一つのことから、私が何らかの仕方で神の姿と像《かたど》りに従って作られたということ、また神の観念がそのうちに含まれるこの像りが、私の私自身を知覚するに用いるのと同じ能力を持って私によって知覚せられるということは、極めて信じ得ることである。言い換えると、私が私自身のうちに精神の眼を向けるとき、単に私は、私が不完全で
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