よう。
 実にこれまで私が何よりも真と認めたものはいずれも、感覚からか、または感覚を介してか、受取ったのであった。しかるにこの感覚は時として欺くということがわかった。そして一度たりとも我々を瞞したものには決してすっかり信頼しないのが賢明なことである。
 しかしおそらく、感覚はあまり小さいもの、あまり遠く離れたものに関しては時として我々を欺くとはいえ、同じく感覚から汲まれたものであっても、まったく疑い得ぬ他の多くのものがある。例えば、今私がここに居ること、煖炉のそばに坐っていること、冬の服を着ていること、この紙片を手にしていること、その他これに類することのごとき。まことにこの手やこの身体が私のものであるということは、いかにして否定され得るであろうか、もし私がおそらく私を誰か狂った者に、その脳が黒い胆汁からの頑固な蒸気でかき乱されていて、極貧であるのに自分は帝王であるとか、赤裸であるのに緋衣を纒うているとか、粘土製の頭を持っているとか、自分は全体が南瓜であるとか、硝子から出来ているとか、と、執拗に言い張る者に、比較するのでなければ。しかし彼等は狂人であるのだが、もし私が何か彼等の例を私に移
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