に転じて、自分を欺き、そしてしばらくの間すべての意見が偽で空想的であると仮想し、かくして遂に、いわば偏見の重量を双方ともに同等のものとし、もはや曲った習慣が私の判断をものの正しい知覚から逸らせないようにしても、私は不都合なことはしてはいまいと思う。実際、かくすることから何らの危険も誤謬もその間に生じてこないであろうということ、また現在私は実行に関することがらではなくただ認識に関することがらに専心従事しているのであるから、いかに不信を逞うしても、それが過ぎることはあり得ないということ、を私は知っているのである。
そこで私は真理の源泉たる最善の神ではなく、或る悪意のある、同時にこの上なく有力で老獪な霊が、私を欺くことに自己の全力を傾けたと仮定しよう。そして天、空気、地、色、形体、音、その他一切の外物は、この霊が私の信じ易い心に罠をかけた夢の幻影にほかならないと考えよう。また私自身は手も、眼も、肉も、血も、何らの感官も有しないもので、ただ間違って私はこのすべてを有すると思っているものと見よう。私は堅くこの省察に執着して踏み留まろう。そしてかようにして、もし何か真なるものを認識することが私の力に及ばないにしても、確かに次のことは私の力のうちにある。すなわち私は断乎として、偽なるものに同意しないように、またいかに有力で、いかに老獪であろうとも、この欺瞞者が何も私に押しつけ得ないように、用心するであろう。しかしながらこれは骨の折れる企てである、そして或る怠慢が私を平素の生活の仕方に返えらせる。そのさまは、おそらく夢の中で空想的な自由を味わっていた囚われびとが、後になって自分は眠っているのではないかと疑い始める場合、喚び醒まされるのを恐れこの快い幻想と共にゆっくり眠りつづけるのと異ならないのであって、そのように私はおのずと再び古い意見のうちに落ち込み、そしてこの睡眠の平穏に苦労の多い覚醒がつづき、しかも光の中においてではなく、かえって既に提出せられたもろもろの困難の解けない闇のあいだで、将来、時を過ごさねばならぬことのないように、覚めることを怖れるのである。
[#改丁]
省察二
人間の精神の本性について。精神は身体よりも容易に知られるということ。
昨日の省察によって私は懐疑のうちに投げ込まれた。それは私のもはや忘れ得ないほど大きなものであり、しかも私はそれ
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