覚が存する。
 最後に、この同じものは、自己に欠けているところの完全性の、すなわち自己のうちに形相的にあるいは優越的に有しないところの完全性の、知覚を有し得ない(公理七によって)。なぜなら、既に言われたごとく、このものは私を維持する力を有するからして、なおさらかかる完全性を、もし欠けているならば、自分に与える力を有するであろうから(公理八及び九によって)。しかるにこのものは、いましがた証明せられたように、私に欠けていてただ神のうちに存し得ると私が考えるところのすべての完全性の知覚を有する。ゆえにこのものはそれらの完全性を形相的にあるいは優越的に自己のうちに有し、かくして神である。


       系

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神は天と地と及びそのうちに存する一切を創造した。なおまた神は我々が明晰に知覚するあらゆるものを我々がこれを知覚する通りになし得る。
[#ここで字下げ終わり]

     証明

 このすべては前の定理から明晰に帰結する。すなわちこの定理において神の存在することが、我々のうちにその或る観念の有するすべての完全性が形相的にあるいは優越的にそのうちに存するところの或る者が存在しなくてはならぬということから証明せられた。しかるに我々のうちにはあるいとも大きな力の、すなわちただこの力がそのうちに存するところのものによつて、天と地、等々が創造せられ、また私が可能なものとして理解する他のすべてのものもこの同じものによって作られ得るというほど大きな力の観念が存する。ゆえに神の存在と同時にこのすべてがまた神について証明せられたのである。


       定理四

[#ここから2字下げ]
 精神と身体とは実在的に区別せられる。
[#ここで字下げ終わり]

     証明

 我々が明晰に知覚するあらゆるものは、神によって、我々がこれを知覚する通りに、作られ得る(前の系によって)。しかるに我々は精神を、言い換えると、思惟する実体をば、物体を離れて、言い換えると、何等かの延長を有する実体を離れて、明晰に知覚する(要請二によって)。また逆に物体をば精神を離れて知覚する(すべての人々が容易に認容するごとく)。ゆえに、少くとも神の力によって、精神は身体なしに存することができ、また身体は精神なしに存することができる。
 ところでいま、その一が他を離れて有し得るところの実体
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