すなはち実有性の、種々の度がある。なぜなら、実体は偶有性あるいは様態よりもいっそう多くの実在性を有し、また無限な実体は有限な実体よりもいっそう多くの実在性を有するから。従ってまた実体の観念のうちには偶有性の観念のうちによりもいっそう多くの客観的実在性が有し、また無限な実体の観念のうちには有限な実体の観念のうちによりもいっそう多くの客観的実在性が存する。
 七 思惟するものの意志は、たしかに有意的にかつ自由に(なぜならこれは意志の本質に属するのであるから)、しかしそれにもかかわらず謬ることなく、自分に明晰に認識せられた善に赴く。従って、もし自分に欠けている何等かの完全性を知るならば、それを直ちに、もしそれが自分の力の及ぶところにあるならば、自分に与えるであろう。
 八 いっそう大きなことあるいはいっそう困難なことを為し得るものは、またいっそう小さいことをも為し得る。
 九 実体を創造しあるいは維持することは、実体の属性すなわち固有性を創造しあるいは維持することよりも、いっそう大きなことである。しかしながら、既に言ったごとく、同じものを創造することは、それを維持することよりも、いっそう大きなことではない。
 一〇 あらゆるものの観念あるいは概念のうちには存在が含まれる。なぜなら我々は存在するものの相のもとにおいてでなければ何物も把捉し得ないのであるから。もとより、制限せられたものの概念のうちには可能的あるいは偶然的存在が含まれ、しかしこの上なく完全な実有の概念のうちには必然的にして完全な存在が含まれる。


       定理一

[#ここから2字下げ]
神の存在はその本性の単なる考察から認識せられる。
[#ここで字下げ終わり]

     証明

 或るものが何らかのものの本性あるいは概念のうちに含まれると言うことは、そのものがこのものについて真であると言うことと、同じである(定義九によって)。しかるに神の概念のうちには必然的存在が含まれる(公理一〇によつて)。ゆえに神について、神のうちには必然的存在が存する、あるいは神は存在する、と言うことは真である。
 しかるにこれは、既に上に第六駁論に応えて私が用いたところの三段論法である。そしてその結論は、要請五において言われたよううに、先入見から解放せられている人々に対してはそれ自身によって明かなものであり得る。しかしかよう
前へ 次へ
全86ページ中82ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
デカルト ルネ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング