まふ。手紙は郵便箱に入れないらしい。どうして、どうして、そんなことの出來ようはずはない。(扉を段々大きく開ける)おや、どうしたんだらう? あいつはまだ立つてゐる。階段を下りて行かないやうだが、考へ直しでもしたのか知ら? ひよつとしたら――(郵便箱の中へ手紙が入る。クログスタットの階段を下りてゆく足音が段々遠くなつて聞える。ノラ押しつけたやうな叫聲を上げる。暫く間を置いて)郵便箱に――(おづ/\と扉の所へ拔足して行く)あなた、あなた――たうとう私達の破滅になりました!
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(リンデン夫人が踊衣裳を持つて左手からよつて來る)
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リンデン さあ、もうすつかり直りました。ちよつと着てご覽なさい。
ノラ (嗄れ聲で柔かに)クリスチナさん、こちらへ。
リンデン (衣裳をソファの上において)どうなすつたんです? あなた、まるで顏色が變つてゐますよ。
ノラ こゝへいらつしやい。あの手紙が見えますか? さう、ね――あの郵便受のガラスに。
リンデン えゝ、えゝ、見えてよ。
ノラ あの手紙はクログスタットから來たんですよ――
リンデン ノラさん――あなたに金を貸してるのはクログスタットでしたのね?
ノラ えゝ、ですからもう愈々トル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルトが何もかも知つてしまふことになります。
リンデン ノラさん、惡いことは言ひません、きつとその方が貴女がたお二人のためですよ。
ノラ 貴女はまだすつかりわけがわからないから、そんなことを言ふけれど、私、實は名前を僞署してゐるのですよ――
リンデン どうしたんですつて――
ノラ ですから、ねえ、クリスチナさん、あなた聞いてゐて下さい。私のために證人になつて下さいな――
リンデン 證人とは? 何のです――
ノラ もし私が氣でも違ふやうだつたら――そんなことになるかも知れませんから。
リンデン まあ、ノラさん――
ノラ それでなくとも何か私の身の上に變つたことが起つたら――さうして私がもうかうしてゐられない場合にでもなつたら――
リンデン まあノラさん、あなた――どうかしたの?
ノラ もし誰か出て來て何もかも自分が引き受けようと言ふ場合には――すべての罪をね――わかりましたか?
リンデン えゝ、けれども、どうしてあなたはそんなことをお考へになるの――?
ノラ その時には、あなた、證人になつてね、それは嘘だと言つて下さいよ、クリスチナさん、私はちつとも本心を失つちやゐません。かうして言つてることは私よく知つてゐますよ。それでいつておくのですがね、この事件はちつとも他の人の知つたことぢやありません、私が何もかもしたのです、私自身の罪です、どうかそのことを忘れないでゐて下さい。
リンデン それは覺えておきますがね、どうしてそんなことをおつしやるか、私にはわかりません――
ノラ それがどうして貴女にわかりませう? これから現れて來ようといふ奇蹟ですもの。
リンデン 奇蹟ですつて?
ノラ えゝ、奇蹟。けれども非常に怖ろしいことなの、クリスチナさん。どんなことがあつても起つてくれちやならない事です。
リンデン ぢや、私クログスタツトの方へ直ぐ行つて話してみませう。
ノラ いけませんよ。あの男は貴女に害を加へますよ。
リンデン あの人は私のためなら何でもした時代がありましたのよ。
ノラ あいつが?
リンデン あの人の家は何處ですの?
ノラ そんなことをどうして私が――? さう/\(隱しを探る)こゝにあいつの名刺があります。けれども、あの手紙をどうしませう――
ヘルマー (外から戸を叩きながら)ノラ!
ノラ (恐怖の叫び)なあに? 何かご用ですか?
ヘルマー びつくりしなくてもいゝさ、入つて行きやしないから。お前、戸の錠をかけちやつたな、衣裳を着てみてるところかい?
ノラ さうです、さうです、着てみてるんです。大變よく似合つてよ、あなた。
リンデン (名刺を讀んで)ぢや、あの人の家はすぐ近くですね。
ノラ さうですよ、けれども、もう、そんなことは無駄です。手紙があゝして郵便受に入つてるんですもの。
リンデン そして箱の鍵はご主人が持つてお出でなの?
ノラ えゝ、いつも。
リンデン それぢや、クログスタットにさういつて、あの手紙を讀まないうちに取返させませう。何かいひ譯をさせればすみますから――
ノラ けれども、もうトル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルトがいつも郵便受をあける時刻ですから――
リンデン 引き止めておゝきなさいよ、いつも手を塞がせておくとよくつてよ、私出來るだけ早く歸つて來ますから(急いで廊下の扉を開けて行く)
ノラ (ヘルマーの室の扉を開けて中を覗く)あなた!
ヘルマー うむ、もうそつちへ行つて
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