ん》)。行《ゆ》く事十丁ばかりにして湿地あり、馬脚を没し馬腹《ばふく》に至る。近傍の地には蘆《あし》を生じ、其高さは予が馬上にあるの頭《かしら》を掩《お》うあり。此れを過ぎ、東には川を隔てて密樹あるの山あるを見る。亦平坦の地に至る。西には樹木の生ずる山あり。北には樹木無く、平坦なるの高き地に緑草の繁茂するを見たり。更に能く凝視するに馬匹《ばひつ》をつなぐ「ワク」あるを覚えたり。故に偶然に此れ我牧塲なるかと思いつつ、更に北に向うて進むに、一《いつ》の広き湿地あり。馬脚は膝を没するも馬腹に至らず。此れを過ぎて次第に登り、平坦地に至る。少しの高低あるのみなる広く大なる原野あり。内に道路あり、幅六七尺にして十字形を為して東西に分れ、南北に分れたるを見たり。余り不思議なるを以て、かかる無人境《むにんきょう》にて此道路は何たるやを土人に問う。土人答て曰く、此れは関牧塲にして、馬の往来するが為にかくはなりたりと。爰《ここ》に至りては予は実にうれしくして、一種言うべからざるの感にうたれて、知らず識らず震慄《しんりつ》して且つ一身は萎靡《なえ》るが如きを覚えたり。此時たるや、精神上に言うべからざるの感を為すは、これ終身忘るる事能わざるべきなり。故に今日《こんにち》に於ても時々思い出す事あり。ああ此現状に遇するに於ては大満足たるや如何なる憂苦困難を重ねたるも、此れにて万難を打消すべきを感じたり。ああ世人は斯くの如きの実境を得る事を知らず、只空しく一身一家を固守するの人にては、予が此現状を得る事無き人に対して自ら誇るのみならず其人をあわれに思うなり。尚牛馬の多く群れたるを遥に見つつ河を渉《わた》る。(斗満川)。川畔《かわばた》に牛馬の脚痕《あしあと》の多きを見る。新《あらた》に柵を以て囲めるを見たり。ここに至りて尚うれし。進んで少し登りて行《ゆ》くに、樹間に小屋を見る。喜んで進んで着するに、片山夫婦谷利太郎は大に喜んで迎えらるるは実にうれし。然るに奇遇にも土人は鱒|弐尾《にび》を捕りたるを以て、調理して晩飯を喰《しょく》して眠《ねむり》につけり。此夜は恰《あだか》も慈母の懐に抱かれたる心地して、大安堵せり。
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小屋は四間《しけん》に六間にして、堀立柱《ほりたてばしら》に樹皮を屋根とし、草を以て四囲を構え、草を敷きて座敷とし、外《ほか》に便所一つあるのみなり。片山夫婦、彌吾吉、利太郎の四名なり。家具着類は不自由ながらも僅に用を便ずるのみ。臥して青草《せいそう》を握り、且つ星を眺むるなり。
此際は殊に小虫多く、眼口鼻に入る為めに、畑に出《いず》るには何《いず》れも覆面して時々逃げて小屋内にて休息す。便処《べんじょ》にても時々「タイマツ」の様なるものを携うる事とせり。此れは小虫は火を嫌うを以て、小虫を避くるの為めなり。
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十二日、七時より放牧塲(ノフノヤウシ)即ち昨日見る処に至りて馬匹を観んと欲し、彌吾吉王藏同行せり。現塲《げんじょう》に至り、彌吾吉は馬匹の群を一見して馬匹中に異動あり、或は不足なりとて、尚調査するに、仔馬一頭は熊害《ゆうがい》にて臀部に裂傷あるを見たり。尚|瑞※[#「日+章」、第3水準1−85−37]《ずいしょう》北宝《ほくほう》も見えざるを以て、或は昨夜熊害の他《たの》馬匹にも及ぼす事あるかとて、王藏に命じて尚馬匹を集めて調査するに、瑞※[#「日+章」、第3水準1−85−37]北宝両|種馬《しゅば》の見えざるをもって深く案じたるも、両種馬は遥に他《た》群馬中に見えたり。且つ数十頭の遠くより揃うて急馳《きゅうち》するの勢い盛なるを見、且つ其迅速なるを見ては、実に言うべからざるの大快楽を覚えたり。且つ予は幼時|小金原《こがねがはら》にて野馬捕《のうまとり》とて野に放ちたる馬を集めて捕るを見たる事を想起せり。然れども彼時《かのとき》は只眼にて観るの楽《たのしみ》なるのみなりしも、現今我牧塲としてかかる広漠の地にて、且つ多数の我所有たる馬匹の揃うて進みて予に向うて馬匹等は観せたしとの意あるが如きを感じて、更に一種言うべからざるの感あり。其内に追々進みて近きに来り、瑞※[#「日+章」、第3水準1−85−37]北宝は無事に群中にありて大に安堵せり。然るに彼《か》の両種馬は、予が傍らに来りて心あるが如く最も親《したし》く接したり。他馬匹も同く、予は群馬の中《うち》に囲まれて、何《いず》れも予に接せん事を欲するが如く最も親しく慣るるは、此れ一種言うべからざるの感あり。
昨夜熊害は仔馬一頭を傷《いた》めたるのみなり。創《きず》は裂創《れっそう》にして、熊の爪にかけられたるも逃げ出して無事なりと。
熊は時々馬匹に害を与うるを以て、甞《かつ》てアイヌ一名を傭置《やといお》き、一頭を捕れば金五円|宛《ずつ》を臨時
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